「過去→現在→未来」というように一方向に時間がながれると感じるのは幻想かもれません。古典物理学の常識にとらわれる必要はありません。現代物理学に注目すべきです。
グラフィックサイエンスマガジン『Newton』(2018年8月号)の Newton Special では「時間を科学する」(第1回)として、「時間の謎」について物理学の立場から解説しています。



「私たちは、何かが変化することではじめて時間を感じます。そういう意味では、何も変化しなくなった状態では、時間は存在しないと言えるかもしれません。そこで時間を議論すること自体、もはや無意味といえるでしょう」(松浦教授)。

何も変化するものがなくなったとき、時間の存在自体が曖昧になってしまうのだとしたら、もはや「時間は過去から未来へと流れるもの」だという感覚自体、私たちが勝手に抱いている幻想なのかもしれません。


たとえばカップにはいった紅茶にミルクをいれて時間をおくと、ミルクは自然に拡散していきます。ミルクの粒子がばらばらに全体にひろがっていき、元の状態にもどることは決してありません。このような「不可逆現象」ばかりをみているので、時間は、過去から未来へと一方向にながれているとわたしたちは感じているわけです。

何かが変化することではじめて時間を感じるのだとしたら、変化がなければ時間は存在しないといえます。

相対性理論によると、時間は絶対的なものではなく、ながくなったり、みじかくなったり、過去・現在・未来の区別が曖昧になるといいます。時間のすすみかたは重力の影響によって変化します。

物理学者は、宇宙は、誕生後すぐに急膨張し、今もなお膨張をつづけているとかんがえています。時間と空間は一体のものなので、空間の膨張がつづくかぎり時間もつづくとかんがえられます。

ところが物理学者のなかには、時間は1次元ではなく、2次元以上であるとかんがえている人々もいます。すなわち「過去→現在→未来」という一方向(1次元)ではなくもっと複雑であるというのです。古典物理学では「過去→現在→未来」が前提であり、おきた現象(結果)には、原因となる(因果関係のある)出来事がからなず存在するとかんがえ、これを「因果律」といいます。もし、時間が2次元以上だったとしたら原因は複数あり、単純な因果律はなりたたなくなります。




このことは、東洋の言葉をつかうならば「因果」か「縁起」かということにもなるでしょう。ある現象がなりたつためには、表面的に関係がふかいようにみえる出来事だけでなく、表面にはあらわれていないたくさんの情報が潜在空間でつながりあって影響をおよぼしあっているとかんがえるのが縁起です。

因果か縁起か? 人それぞれの運命をきめる重大な問題です。わたしは縁起の立場です。

時間が1次元でなければならない理由は物理学者たちもみいだしていません。「過去→現在→未来」と一方向に時間がながれるように感じるのは幻想にすぎないのではないでしょうか。

いずれにしても、「過去→現在→未来」という古典物理学のふるめかしい常識にいつまでもとらわれている必要はありません。現代は、古典物理学の時代ではありません。現代物理学の時間研究に今後も注目し、もっと柔軟に時間にとりくんでいったほうがよいでしょう。


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▼ 参考文献
『Newton』2018年8月号、ニュートンプレス、2018年8月7日発行