生きがいとは、生きる意味そのもの、生の根源にふれようとする営みです。人間が、もっとも生きがいを感じるのは、自分がしたいとおもうこととやらねばならぬという義務とが一致したときです。
あなたの生きがいは何ですか?
この、素朴にして本源的な問いを、今月の「100分 de 名著」はわたしたちになげかけています。一旦たちどまって、みずからの生きがいについてあらためてかんがえなおしてみる。このチャンスを提供しただけでも、今回のプログラムには大きな意義があったといえるでしょう。
NHK・Eテレ「100分 de 名著」、今月は、神谷美恵子著『生きがいについて』をとりあげています(注)。指南役は批評家・随筆家の若松英輔さんです。
何のために自分は必要なのか? 自分の存在は誰のためなのか? 本当の「ありがとう」をいわれてみたい。多くの人々が当てもなくさまよっています。ここには、高度経済成長期がおわり、目標をうしなったという時代的な背景もあります。
生きがいとは、生きる意味そのもの、生の根源にふれようとする営みです。今日ほど、生きがいを必要とする時代はなかったのではないでしょうか。
人間が、もっとも生きがいを感じるのは、自分がしたいとおもうこととやらねばならぬという義務とが一致したときだと神谷はいいます。希望と使命、自発性と必要性が一致したとき、閃光のように生きがいが顕現します。
「これだ!」
それは直観といってもよいでしょう。
自分のすきなことをやりながらも社会のニーズにこたえる。ボランティア活動などをおこなうときにも留意しなければならないことです。
1955(昭和30)年、神谷美恵子はふたたび大病をわずらいます。
ただやりたいことをではなく、本当にやらねばならないことにとりくまなくてはならない。なしえることをなしとげて死ななければならない。使命感が人をうごかします。
このあと神谷は、長島愛生園(国立ハンセン病療養所)に出会い、人生が一変しました。のこされたわずかな時間のなかであたらしい生き方を採用し、過去の生にあたらしい意味をあたえはじめました。
そして気づかされます。こまっている人々がいる。くるしんでいる人々がいる。その人に必要だろうとおもわれるものを他者が推察してあたえても決してうまくいかないということに。
喉が渇いている人に水をさしだすことはできます。しかし心のなかに生じている「渇き」は、その人自身の心の底からわきでてくる「泉」でなくてはいやすことはできません。心の底からわきでる いのちの「泉」こそが生きがいにほかならず、そしてそれは、その人みずから発見しなければなりません。
生きがいを発見するときにはこのような変革体験がおこります。生きがいは、とおいかなたにあるのでもなく、これまであゆんできた過去にあるのでもなく、今、ここにひそんでいます。今とは、未来と過去の双方から照らされて存在するものです。
こうしたなかで、利潤を目的としないボランティア活動、NPO/NGO 活動をする人々が増えてきたこと、彼らの表情がとてもあかるいことには一縷の希望が見いだせます。
▼ 注
NHK・Eテレ「100分de名著」:神谷美恵子著『生きがいについて』
▼ 参考文献
若松英輔著『NHK 100de名著 2018年5月』(『生きがいについて』)、NHK出版、2018年5月1日
神谷美恵子著『生きがいについて』(神谷美恵子コレクション)みすず書房、2004年10月4日
梅棹忠夫著『わたしの生きがい論 人生に目的があるか』講談社、1985年
この、素朴にして本源的な問いを、今月の「100分 de 名著」はわたしたちになげかけています。一旦たちどまって、みずからの生きがいについてあらためてかんがえなおしてみる。このチャンスを提供しただけでも、今回のプログラムには大きな意義があったといえるでしょう。
NHK・Eテレ「100分 de 名著」、今月は、神谷美恵子著『生きがいについて』をとりあげています(注)。指南役は批評家・随筆家の若松英輔さんです。
神谷美恵子は社会から隔離された国立ハンセン病療養所で精神医学的調査を行い、同じ条件下にいても生きる意味を失って悩んでいる人と、生きる喜びにあふれている人を目にした。その違いは何か、人間の意味はどこにあるのか。
4つの問い。
- 自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
- 自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
- 以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
- 一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。
何のために自分は必要なのか? 自分の存在は誰のためなのか? 本当の「ありがとう」をいわれてみたい。多くの人々が当てもなくさまよっています。ここには、高度経済成長期がおわり、目標をうしなったという時代的な背景もあります。
生きがいとは、生きる意味そのもの、生の根源にふれようとする営みです。今日ほど、生きがいを必要とする時代はなかったのではないでしょうか。
人間が、もっとも生きがいを感じるのは、自分がしたいとおもうこととやらねばならぬという義務とが一致したときだと神谷はいいます。希望と使命、自発性と必要性が一致したとき、閃光のように生きがいが顕現します。
「これだ!」
それは直観といってもよいでしょう。
自分のすきなことをやりながらも社会のニーズにこたえる。ボランティア活動などをおこなうときにも留意しなければならないことです。
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1955(昭和30)年、神谷美恵子はふたたび大病をわずらいます。
私にはいろいろ人生への夢がありました。その大部分はまだ実行できないでいたことでした。死というものがやって来たら、どんなに中途はんぱな人生でも、そのはんぱなままで去って行かなくてはならないのだ、ということに、今さらのように愕然としました。
ただやりたいことをではなく、本当にやらねばならないことにとりくまなくてはならない。なしえることをなしとげて死ななければならない。使命感が人をうごかします。
このあと神谷は、長島愛生園(国立ハンセン病療養所)に出会い、人生が一変しました。のこされたわずかな時間のなかであたらしい生き方を採用し、過去の生にあたらしい意味をあたえはじめました。
そして気づかされます。こまっている人々がいる。くるしんでいる人々がいる。その人に必要だろうとおもわれるものを他者が推察してあたえても決してうまくいかないということに。
喉が渇いている人に水をさしだすことはできます。しかし心のなかに生じている「渇き」は、その人自身の心の底からわきでてくる「泉」でなくてはいやすことはできません。心の底からわきでる いのちの「泉」こそが生きがいにほかならず、そしてそれは、その人みずから発見しなければなりません。
生きがいを発見するときにはこのような変革体験がおこります。生きがいは、とおいかなたにあるのでもなく、これまであゆんできた過去にあるのでもなく、今、ここにひそんでいます。今とは、未来と過去の双方から照らされて存在するものです。
こうして生きがいを見いだし、周囲の人々とともに生きていくことによって、自分にとって他者がかけがえのない存在だと感じるようになります。そのとき人は、自分が生きているのではなく、生かされていることに気がつきます。いかに生きるかではなく、いかに生かされるか。他律的な生き方こそ真の自己としての道です。
現代は、際限なく人間が欲望を拡大している時代であり、同時に、精神的にくるしむ人々をたくさんうみだしている時代でもあります。人生の目的を達成するなどいう低次元のかんがえ方では問題は解決できません。生きがい論がクローズアップされるのは時代の必然といえるでしょう。
実際には主体性が誰にももとめられます。それによってみずからも変革していきます。心の「プロセシング」がおこります。
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現代は、際限なく人間が欲望を拡大している時代であり、同時に、精神的にくるしむ人々をたくさんうみだしている時代でもあります。人生の目的を達成するなどいう低次元のかんがえ方では問題は解決できません。生きがい論がクローズアップされるのは時代の必然といえるでしょう。
実際には主体性が誰にももとめられます。それによってみずからも変革していきます。心の「プロセシング」がおこります。
▼ 注
NHK・Eテレ「100分de名著」:神谷美恵子著『生きがいについて』
▼ 参考文献
若松英輔著『NHK 100de名著 2018年5月』(『生きがいについて』)、NHK出版、2018年5月1日
神谷美恵子著『生きがいについて』(神谷美恵子コレクション)みすず書房、2004年10月4日
梅棹忠夫著『わたしの生きがい論 人生に目的があるか』講談社、1985年