IMG_4267
正保年中江戸絵図(江戸の実測図、江戸時代)
巨大都市「大江戸」が成立していく歴史をみながら、城下町の仕組みや人々の生活を知ることができます。
NHKスペシャル関連企画「大江戸」展が江戸東京博物館で開催されています(注1、2)。小さな土の城があっただけの江戸が、人口 100 万人をこえる巨大都市「大江戸」になるまでにどのように成長していったのか?


プロローグ
江戸は、武蔵野台地の東端、江戸湾の北西に位置していました。


1.江戸の成り立ち
平清盛が活躍したころ、秩父平氏一族であった江戸氏が拠点を江戸にかまえました。1590年(天正18年)、北条氏の小田原が落城、豊臣秀吉により徳川家康は江戸城に移封されました。


2.江戸城の絵図
家康が入城したころの江戸城は土の城でした。1603年(慶長8年)、家康は征夷大将軍となり、2年後、嫡子秀忠が将軍職を継承しました。1606年(慶長11年)に本丸に高石垣がきずかれたのを皮切りに、江戸城が近世の城へとととのえられていきます。

江戸城がしだいに大きくなっていく様子を展示されている絵図でみることができます。すでに天下は統一されていましたので、江戸城と城下は、軍事的要塞としてではなく、政治・経済・文化の中心都市として機能するように計画的に建設されていきました。したがって城下町・交通網・水運・上下水道・耕作地などもあわせて整備されました。18世紀中頃には、推定人口 100 万人をこえる巨大都市「大江戸」にまで成長しました(図1)。(絵図の写真撮影は許可されていませんでした)。

180427 城下町
図1 大江戸のモデル(注3)


江戸は、全国の都市や藩を整備していくためのモデルでもありました。各藩の都市(城下町)はいわば「小江戸」でした。


3.火事と江戸
「火事と喧嘩けんかは江戸の花」とうたわれたほどに、江戸の町はたびたび火災に見舞われました。たびかさなる災害の経験から防災に関する知識が蓄積されていきました。


4.水辺の風景
江戸の繁栄をあらわす場所の多くは水辺に形成されました。江戸橋広小路や両国広小路などはそのよい例で、ちょうど水陸交通の結節点にもあたっていました。


5.写された風景
幕末に来日した外国人が、江戸城や城下町、増上寺などの寺院を撮影していました。あらたに発見されたネガから写真がカラーで復元され、うしなわれた江戸の姿が現代によみがえります。展示会場の映像は一見の価値があります。あるいは NHK スペシャル(の江戸復元映像)を是非みてください(注2)。
 
 
エピローグ
鳥羽伏見の戦いでやぶれた徳川慶喜は大坂を脱出して江戸にもどります。しかし江戸城にとどまることはできませんでした。時代は明治へとうつりかわっていきます。


▼ 関連記事
1862年の江戸を鳥瞰する - 立川博章著『大江戸鳥瞰図』-

▼ 注1
NHKスペシャル関連企画「大江戸」展
会場:江戸東京博物館・5F企画展示室(常設展示室内) 
会期:2018年4月1日~2018年5月13日



▼ 注2
NHKスペシャル・シリーズ「大江戸」
150年前に消えた史上最大のロスト・シティー、その真実の姿がよみがえる
第1集「世界最大!! サムライが築いた“水の都”」(4月29日午後 9:00~9:55、総合)
第2集「驚異の成長!! あきんどが花開かせた“商都”」(5月27日午後 9:00~9:49、総合)
第3集「不屈の復興!! 町人が闘った“大火の都”」(7月1日午後 9:00~9:49、総合)
※ 放送日・タイトルは変更される場合があります。

▼ 注3
自然環境とは、山・森林・海など、人の手がはいっていない自然のことです。大江戸は、自然環境と人間社会が調和したみごとなリサイクル都市でした。幕末に来日したヨーロッパ人は、江戸の衛生状態がきわめていいことにもおどろきました。