高解像度カメラなどが開発され、超監視時代が到来しました。市民の安全がまもられる一方、これまで以上に市民は権力を監視しなければなりません。
『ナショナルジオグラフィック』(2018年4月号)では「超監視時代」を特集しています。



ロンドンでは1990年代初めにトラックに爆弾を積んだテロが相次ぎ、市当局は早くから監視カメラによる広域の監視システムを導入した。2012〜15年に市内に設置されたカメラの台数は72%増加し、英国全体の3分の1を占めるようになった。今ではロンドン市民は世界屈指の厳重な監視下に置かれている。たとえば、イズリントン区には180台のカメラがある。


ロンドンに設置されている監視カメラは非常に高解像であり、400メートルはなれたところからでも、ズームアップすると人物の姿がはっきりとうつしだされます。

今日、イギリスのみならず、米国や日本、その他の先進国でも監視体制が強化されてきています。

デジタルカメラと画像処理技術の最近の進歩はめざましく、高解像の画像により細部にいたるまで人や物を識別できるようになりました。街中や建物内のカメラだけでなく、タクシーや電車などの車内カメラ、ドライブレコーダー、ウェアラブルカメラなども発達しています。これらにくわえ、顔認識、音声認識、赤外線センサーなどの感度もたかまり、かつてはかんがえられなかったほどに監視システムは精度をあげています。

こうして、容疑者の監視、テロ対策、犯罪対策、交通違反の取り締まりなど、監視カメラは、市民の安全をまもるために役立っています。犯罪の一部始終が録画されていたという例もあらわれてきています。多数の監視カメラの設置はテロや犯罪の抑止の役割もはたしています。




中国でも、不審な行動をする人を監視しています。

しかしながら、中国のそれは適切なシステムなのでしょうか。監視されている人は犯罪者なのか? 民主化の活動家なのか? 日本でも、戦前・戦中までは “監視” がおこなわれていました。

独裁者がでてきたらどうなるのか。「超監視社会」は一歩まちがうととんでもないことになります。国家権力が市民をつねに見張ります。むずかしい時代になりました。

そうならないためには、市民が権力をつねに “監視” しなければなりません。この監視は、高解像度カメラをつかって政治家と役人を撮影するということではなく、新聞やテレビ、情報公開制度などを利用して継続的にモニタリングするということです。ここでは、情報が何を意味するのか、それをよみとる能力、人間の情報処理能力が問われます。日本でも、一部の市民がすでに実施しています。


▼ 文献
『ナショナルジオグラフィック日本版』(2018年4月号)日経ナショナルジオグラフィック社