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《太陽の塔》の模型(内部も再現)
(平行法で立体視ができます)
岡本太郎制作《太陽の塔》が半世紀の時をへてよみがえりました。機械文明ではなく、いのちの再生が今もとめられています。
企画展「太陽の塔 1967 - 2018 - 岡本太郎が問いかけたもの -」が東京・ 青山の岡本太郎記念館で開催されています(注1)。

2018年3月、大阪の万博記念公園にある岡本太郎制作《太陽の塔》が再生され、一般公開がはじまりました(注2)。これを記念して、「太陽の塔とはなにか」をもう一度かんがえようというのが今回の企画です。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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「地下展示」の全体模型
地下展示は、過去すなわち根源の世界をあらわします。万博会場内シンボルゾーンのテーマ館は岡本太郎がプロデュースし、それは、「地下」→「塔内」→「空中」→「地上」を一筆書きでめぐる壮大なものでした。地下空間では「過去」を、大屋根内部では「未来」を、地上の広場では「現在」をかたるという構成で、地下から地上 30 m までを垂直方向に1回転するダイナミックな展示空間でした。
 


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《生命の樹》の模型
《生命の樹》には、単細胞から人類まで、生物進化のプロセスをあらわす 292 体もの “いきもの” がびっしりとはりついています。始原のときから何億年にもわっってうけつがれ、成長してきたいのち。根源からたちのぼり、未来へとむかう生命力のダイナミズム。岡本太郎の生命観が形になっています。




1970年3月15日〜9月13日、大阪府吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催されました。テーマは「人類の進歩と調和」でした。

アジアおよび日本ではじめての万国博覧会で、東京オリンピック以来の国家プロジェクトでもあり、のべ77ヵ国が参加、総入場者数は約 6,400 万人、当時としては史上最大規模をほこる万国博となりました。

敗戦のショックからたちあがり、高度経済成長をつづける日本人にとっては万国博覧会は進歩の象徴であり、機械文明(科学技術文明)がもたらすすばらしい新世界に誰もがあこがれました。


* 


ところが、岡本太郎はちがいました。


人間はなにも進歩していない。人間はなにも変わっていない。現代人は機械に支配されている。(岡本太郎)


機械文明と進歩を批判し、生命力の再生をうったえました。万博シンボルゾーンの大屋根をぶちぬいて《太陽の塔》がそびえていたところにも彼のメッセージが感じとれます。太郎は、真っ向からの対立をエネルギーにかえ、芸術を爆発させました。

万博から半世紀が経過した今日、太郎の言葉が身にしみます。機械が発達すればするほどいそがしくなり、機械の操作法をおぼえる労力がふえ、機械にあわせて生きていかなければならない。そして人々は組織の “部品” となりました。おまけに原発事故・放射能汚染です。

機械文明と進歩は本当に人間を幸福にするのでしょうか? 懐疑的な人がふえています。




万博は、1970年9月13日に閉会し、その後、すべてのパビリオンは解体され、跡地は記念公園になりました。しかしなぜか、《太陽の塔》だけはのこされました。

ほかのあらゆる展示物は “滅び” ましたが、《太陽の塔》だけはのこり、そして今、半世紀の時をおいて再生しました。太郎は、「内部にある《生命の樹》は塔の血流であり、内壁の襞は脳の襞だ」といいました。太陽の塔は「内蔵」をとりもどし、「血」をかよわせる「いきもの」として完全によみがえったのです。 

ほかは滅びて、《太陽の塔》は再生されたということが、人類と地球の未来を暗示しているようにおもえてなりません。機械文明により世界が破滅し、そしてしばらく時をおいて生命が再生するのです。




それにしても、万博の総合テーマが機械文明にもとづいた「人類の進歩と調和」だったのに、なぜ、対立する岡本太郎がシンボルゾーンに登場したのか? 変だとおもいませんか。機械文明や国家プロジェクトからみれば太郎は「危険人物」のはずです。調和しておらず、矛盾しています。

これにはいくつかの理由があったのだとおもいます。たとえば、万博会場の総合設計をおこなった建築家・丹下健三の存在、日本人あるいは日本文化のバランス感覚がはたらいたこと、開催地が日本国の中枢・東京ではなく、そこからはなれた大阪だったのもよかったかもしれません。また当時の人々は、《太陽の塔》をみて、「すごい迫力がある、めずらしい、おもしろい!」とおもっただけで、太郎のメッセージは理解できなかったということもあったのではないでしょうか。

あるいは異質のものもうけいれるという、日本文化の懐のふかさ・柔軟性・重層性も潜在的にあったのだとかんがえられます。ヨーロッパ文明などの合理主義ではありえないことです。

日本文化には、矛盾あるいは渾沌をエネルギーにかえていくという性質があります。深層にある文化をきりすてず、あたらしいものをそこにかさねあわせて融合させようとする癖があります。実際、太郎は、日本の基層文化である「縄文」を再生させようとしていたのです。

《太陽の塔》。よくよみがえってくれました。これからの希望のシンボルです。


▼ 関連記事
いのちのシステム - 企画展「いのちの交歓 -残酷なロマンティスム-」(國學院大學博物館)-

▼ 注1
企画展「太陽の塔 1967 - 2018 - 岡本太郎が問いかけたもの -」(第2期)
会場:岡本太郎記念館
会期:2018年2月21日〜5月27日



▼注2
太陽の塔 オフィシャルサイト

▼ 参考サイト
岡本太郎記念館 
川崎市 岡本太郎美術館

▼ 参考文献
平野暁臣著『「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち』青春出版社、2018年
平野暁臣著『「太陽の塔」新発見! 』(青春新書インテリジェンス)2018年