IMG_2528_7
(交差法で立体視ができます)
人間は、動物のいのちをもらって生きています。いのちのシステムについてあらためてかんがえなおすべきです。
企画展「いのちの交歓 -残酷なロマンティスム-」が國學院大學博物館で開催されていました(注)。芸術家・岡本太郎は、人間と人間以外のモノたちとの「食べる/食べられる」の関係性を「いのちの交歓」とよびました。


動物と闘い、その肉を食み、人間自体が動物で、食うか食われるか、互いにイノチとイノチの間をきりぬけ、常に生命の緊張を持続させながら生きて行く。このいのちの交歓の中に、動物と人間という区別、仕切りはなかった。あの残酷なロマンティスム。動物だけではない。自然のすべて、雨も風も、海も樹木も、あらゆるものと全体なのである。(岡本太郎)


人間は、動物の肉を食べないと生きていけません。つまり、動物のいのちをもらって生存しています。しかし現代人は、このことをわすれてしまいました。食材は、栄養のある“物質”だとおもっています。

そもそも動物は、ほかの動物や植物を食べることによって生命を維持しています。

食うか食われるか。この世は、闘いと緊張のある残酷な世界のようです。しかし食べられることによっていのちを相手にあたえ、食べることによって相手からいのちをもらい、生きるものは相手に依存して生きていくという面もあります。

残酷な側面と依存の側面のどちらがつよいかといえば、依存の側面の方がつよいでしょう。そうでなかったら生態系を維持できません。いのちをもらう側は必要最小限に食べ、いのちを与える側の種を滅ぼしてしまうことはありません。ここでは、闘争による滅ぼしあいではなく、生態系におけるいのちのうけわたしがおこっていて、この仕組みがあるからこそ、生態系は維持されるだけでなく成長できるのではないでしょうか。

生物は、ほかの生物を必要とするだけでなく、土壌や水や空気といった物質、太陽光線といったエネルギーも必要とします。つまり、生物は環境に依存して生きています。生命は、身体だけで完結するのではなく、環境とセットになってはじめて成立します。

このような〈生物-環境〉系が生命の本質であり、これは「いのちのシステム」といってもよいでしょう。生物と環境は同等であり、生物だけではない、雨も風も海も木も自然のあらゆるものの全体のいとなみがここにあります(図)。


180325 生物-環境
図 いのちのシステム


岡本太郎の作品をみて、また彼の言葉をかみしめることによって、いのちのシステムについてあらてめてかんがえなおすことができるとおもいます。


▼ 注
企画展「いのちの交歓-残酷なロマンティスム-」
会期:2017年12月16日〜2018年2月25日
会場:國學院大學博物館

▼ 参考サイト
岡本太郎記念館
川崎市 岡本太郎美術館