ユゴー『ノートル゠ダム・ド・パリ』が現代によみがえってきます。
NHK ・Eテレ「100de名著」、今月は、ユゴー著『ノートル=ダム・ド・パリ』を解説しています。指南役はフランス文学研究者の鹿島茂さんです(注1)。




クロード・フロロ
ノートル゠ダム大聖堂の司教補佐。三十六歳。ブルジョワの出身ながら幼いときから僧職を志し、真面目に勉学に打ち込む学徒となった。(中略)あるとき、大聖堂で異形の捨て子を拾い、カジモドと名づけて、これを育てることにする。禁欲的に学問を追求するきわめて知的な聖職者だが、絶世の美女である踊り子エスメラルダに魅了され、叶わぬ恋と嫉妬の炎に身を焦がす。

カジモド
ノートル゠ダム大聖堂の鐘番。二十歳。外見は怪物のようだが、清い心の持ち主。養父クロード・フロロに犬のように忠実に仕えるが、エスメラルダと出会い、本能的な愛を感じることにより、しだいに自我に目覚めてゆく。

エスメラルダ
ジプシーの踊り子。十六歳。(中略)官能的な見かけと反対に、清らかで純真な心をもち、エロスと少女性を兼ね備える。男たちを身もだえさせ、恋した男たちはみな身を滅ぼすという宿命の美女(ファム・ファタル)の原型でもある。


クロードは、聖職者の身でありながらエスメラルダに告白します。


わたしたち二人は、いちばん太陽が輝き、いちばん木が多く、いちばん青空が澄みわたる土地を求めて行くことにしよう。愛し合い、二つの魂をおたがいにそそぎ合って、(中略)たえず汲めどもつきぬ愛の杯で、この渇きをいやそうではないか!


クロードは、自分が努力して獲得したもの、高い地位や豊かな学識、お金や家、車などをみせつければ、相手が自分のことを好きになるはずだとおもいこんでいます。
「ドーダ、すごいだろう。これだけ愛しているのだから、愛してくれなければいけない」
ストーカーです。

このような一方通行のひとりよがりな行為は、現代のストーカーとまったくおなじ心理構造だといえます。 今日頻発する「ストーカー事件」を理解するために『ノートル=ダム・ド・パリ』が役立ちます。

一方、カジモドは見かけによらない純情可憐な心の持ち主でした。そして彼も、エスメラルダに恋をしてしまいます。本当の純愛です。しかしカジモドには、むくわれない愛がはじめから運命づけられていました。

クロードとカジモドのみごとな対比。

しかしカジモドの愛がむくわれないのは、純粋さそれ自体にも問題があったのです。どんなに献身的であっても一方的な愛の送信である以上、自己愛に発する「ドーダ、これだけ・・」であることにかわりはありません。




わたしは以前、『ノートル=ダム・ド・パリ』をミュージカル化した『ノートルダムの鐘』(劇団四季)(注2)をみたことがありました。今回、「NHK 100de名著」を見て読んで、作品のメッセージがよくわかりました。映画化・舞台化がさまざまにくりかえされてきた理由も理解できました。ミュージカル『ノートルダムの鐘』はロングラン上演になっています。

「クロード」と「カジモド」は、現代にも、日本にもいます。そして「エスメラルダ」も。


▼ 参考文献
『NHK 100de名著 2018年2月』(ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』)NHK出版、2018年1月25日 
ユゴー著『ノートル=ダム・ド・パリ(上)』(岩波文庫)
ユゴー著『ノートル=ダム・ド・パリ(下)』(岩波文庫)

▼ 注1
NHK ・Eテレ「100de名著」:ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』

▼ 注2
ミュージカル『ノートルダムの鐘』(劇団四季)