ヨーロッパ・キリスト教文明は4大文明の一つでしかありません。ヨーロッパ・キリスト教文明もいきづまってきています。ヨーロッパ文明の呪縛から解放されるときがやってきました。
ヨーロッパ・キリスト教文明、そのなかでも西欧文明が資本主義社会と科学技術をいちじるしく発達させました。橋爪大三郎著『世界は四大文明でできている』(NHK出版)をよめばその経緯がよくわかります。




キリスト教によれば市場も神(Cod)の意志がはたらく領域です。


人間が結果を知りえず、偶然のプロセスとみえる市場メカニズムのなかに、God の意思がはたらいている。市場は、人びとが必要とする資源を、交換し分かち合い、幸せに生活するための物質的基盤を提供する仕組みです。市場のメカニズムは、自律しているべきだ。神のわざがそこにはたらくために。


「神の見えざる手」です。

市場に神のわざがはたらくのならば、人間のわざがそこにはたらいてはなりません。政経分離です。市場メカニズムが健全にはたらくための条件は、所有権を尊重すること、法律(契約)をまもること、そして税金をはらうことです。これらのルールをまもっているかぎり、どんなにもうけてもその結果は正当化されます。この論理にもとづいて資本主義経済が成立しました。

アダム=スミスは『諸国民の富』のなかで、プロテスタント神学を下敷きにして「神の見えざる手」について説明しました。




またキリスト教によれば天地は神(God)がつくったものです。山も川も海も、植物も動物も、人間も。この「神の造ったそのまま」を自然(Nature)といいます。自然は、神のわざであって、人間の手がまったくくわわっていません。


自然は、神のわざそのものである。自然を観察し、記述し、理解するなら、聖書に必ずしも書かれていない神の意思を、明らかにすることができる。そう、自然は「もう一冊の聖書」である!

自然(神の創造のわざ)を観察し、理性によって解明して、神の意思を明らかにすること。その活動(自然科学)を通じて、神の計画を理解すること。理性を通じて、神に近づく──この考え方を、理神論(deism)といいます。

理神論は、啓蒙思想の根底にある立場で、自然科学の土台となりました。


理神論は、キリスト教徒のなかのプロテスタントとよばれる人々の聖書中心主義の立場を修正しました。聖書は、人間の手で書かれているので人間の要素がまぎれこんでいるかもしれません。それに対して自然は神のわざそのままであり、それを理性でうつしとった学問である自然科学(Science)はヒューマンエラーの要素がさらにすくないとかんがえられます。

こうしてプロテスタント神学は、「神の主権」の概念をテコにして、聖書と自然科学を双頭の権威とする近代主義へとうまれかわりました。

自然科学は理性によってみちびかれる合理主義そのものであり、科学技術の推進力の根源です。こうして、ヨーロッパ・キリスト教文明において科学技術が爆発的に発展していくことになったのです。




ヨーロッパ・キリスト教文明はいうまでもなく全世界に多大なる影響をあたえました。そのなかでも大きな役割をはたしたのがプロテスタントとよばれる人々です。

キリスト教徒は教派により、カトリック・プロテスタント・正教の3者に大きくわけられます。これらにより、ヨーロッパ・キリスト教文明は、ラテン文明・西欧文明・ビザンチン文明の3者に細分することもあります。カトリックとプロテスタントの人々はアメリカ大陸にもわたり、カトリックの人々はおもに中南米に、プロテスタントの人々はおもに北米にひろがりました。これにより、アメリカ大陸をラテンアメリカとアングロアメリカに2分することもあります。

  • カトリック:ラテン文明→ラテンアメリカ
  • プロテスタント:西欧文明→アングロアメリカ
  • 正教:ビザンチン文明

西欧と北米において、資本主義社会と科学技術がいちじるしく発達したのは以上のような経緯によるものです。




資本主義社会と科学技術は世界を席巻するかのようです。しかしそれは、ヨーロッパ・キリスト教文明のなかの西欧文明の方法だったのであり、唯一絶対の普遍的方法では決してありません。

西欧文明は、ヨーロッパ・キリスト教文明のなかの一分派にすぎません。それどころか、ヨーロッパ・キリスト教文明は4大文明のなかの一つでしかありません。ヨーロッパ・キリスト教文明以外にも文明はあるのであり、この文明だけを絶対視しないようにしなければなりません。相対的な見方がもとめられます。

前世紀までの日本には、この点を誤解している人々が非常に多かったです。日本は、これでもかというくらいに西欧文明を徹底的にとりいれた唯一の国です。

「ヨーロッパにまなべ!」
「アメリカはすごい!」
「さすがアングロサクソンだ!」
「日本は特殊な国、ダーメ」

“インテリ” たちの言葉がありました。西欧にかぶれ、アメリカ合衆国を崇拝し、欧米 “信仰” がうまれていました。 

しかし、時代はかわりました。

ヨーロッパ文明の実態があきらかになってきました。数々の侵略戦争と奴隷制。土地の開発と資源のくいつぶし。大量生産と大量消費。公害と健康被害。野生生物の大量絶滅をふくむ地球環境破壊。今では、プロテスタントの人々のなかからも科学技術文明(物質文明)からの転換をさけぶ人々があらわれてきているありさまです。

ヨーロッパ文明の呪縛から解放されるときがやってきました。日本のかつてのインテリたちはピンぼけでした。世界情勢は、4大文明のすべてを平等に認識しなければとても理解できません。


▼ 関連記事
高次元の見かた - 橋爪大三郎『世界は四大文明でできている』(1)-
ヨーロッパ文明の呪縛から解放される - 橋爪大三郎『世界は四大文明でできている』(2)-
重層文化からあらたな創造へ - 橋爪大三郎『世界は四大文明でできている』(3)-
橋爪大三郎著『世界は四大文明でできている』(まとめ)

世界の宗教分布を地図上でとらえる -『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(1)-
第一に空間的に、第二に時間的に整理してとらえる - 『宗教がわかれば世界が見える』(2)-
▼ 参考文献
橋爪大三郎著『世界は四大文明でできている』(NHK出版新書 530) NHK出版、2017年10月6日