仏教音楽のルーツは、ゾロアスター教を信仰していたソグド人の文化にあります。日本人は外来文化をうけいれ、重層文化を発達させるのが得意です。
古代オリエント博物館ナイト講座第11回「仏教音楽のルーツ -ゾロアスター教-」に参加しました。講師は、奈良県立橿原考古学研究所所長の菅谷文則さんでした(注)。

奈良時代、聖武天皇の天平年間(729~49)を中心に天平文化が花ひらきました。唐の文化を徹底的にうけいれ、すぐれた宮廷文化や仏教寺院がうまれました。東大寺の建立や正倉院の宝物などはその精華といってよいでしょう。

当時の日本は唐の文化を導入しましたが、そのもとには、ササン朝ペルシャ文化があるとかんがえられていました。しかしここ 20 年の考古学的研究により、それは、ササン朝本来の文化ではなく、ササン朝と唐朝にはさまれて、のちに唐に移住したソグド人の文化であったことがあきらかになってきました。

ソグド人。今回のテーマのキーポイントです。今回の講座では、奈良時代の仏教音楽でつかわれた楽器や音楽は、ソグド人が発達させたものだったという仮説がしめされました。

それではソグド人とは何者だったのか? 彼らは、中央アジアのソグディアナ地方の民族であり、都市国家(オアシス都市)を形成し、紀元前4世紀ごろからシルクロードの隊商として大活躍しました。独自のソグド語をはなし、ゾロアスター教を信仰していました。ソグド人の文化はゾロアスター教を中心にして発達したのであり、すると仏教音楽のルーツはゾロアスター教にあるということになります。

しかしその後、イスラム教徒が中央アジアに進出してきたためにソグディアナ地方もイスラム化がすすんでしまい、ソグド人は、唐あるいはその一部はインドのムンバイ(ボンベイ)に移住していきました。ムンバイのソグド人はゾロアスター教をいまでも信仰しています。インド最大の財閥であるタタ財閥はソグド人からなる組織です。ソグド人は人口はすくないですが、インドの富裕層になっているケースが多いとのことです。

実は、ソグド人は日本にもきていました。天平勝宝5年(753)に来朝した鑑真がつれてきた 24 人のなかに安如宝(あんにょほう)という人がいて、この人がソグド人でした。安如宝は 93 歳までいきて、平安時代のはじめには日本で3番目にえらい僧になったそうです。ソグド人が日本にまできていたとはおどろきました。

現在、正倉院には、琵琶・琴・尺八・横笛・笙・方響・箜篌(くご)など、18 種類 75 点余の楽器がつたわっています。これらの多くがとおくソグドの地において発達したものです。奈良の寺や神社では今でも、法要やお祭りのときにこのような楽器をつかって音楽を演奏しています。また当時の音楽はいわゆる邦楽として日本においてさらに発展していきました。




日本人は、外来文化をとりいれる(インプットする)すさまじい能力をもっています。あらゆる文化をとりいれ、そして日本流に改善していきます。ふるい文化にあたらしい文化をかさねあわせ、融合させていきます。これは重層文化です。日本文化の特徴は重層文化であり、これは創造のひとつの方法であるといってよいでしょう。

明治維新後、日本人は今度は、西洋音楽を徹底的にとりいれるようになりました。たとえばバッハの音楽をきけばわかるように、西洋音楽は元来はキリスト教音楽であり、これも宗教音楽でした。ゾロアスター教とキリスト教、文化の深層には宗教があることに気がつくことは重要なことです。

明治維新から 150 年がたち、近年は、日本人の独創的な作曲科や演奏家が多数あらわれてきています。重層文化のあらたな成熟期をむかえたとかんがえてよいでしょう。


▼ 参考文献
移植・模倣・改善の潮流をよみとる - 角川まんが学習シリーズ『日本の歴史』(2)-
シルクロード特別企画展「素心伝心 -クローン文化財 失われた刻の再生-」(東京藝術大学美術館)(まとめ)
日本式創造のスタイルをみる - 新横浜ラーメン博物館(2)-
インプットと堆積 -「日本人はどこから来たのか?」(Newton 2017.12号)-
重層文化を発展させる - 国立科学博物館・地球館2階「江戸時代の科学技術」(4)-

▼ 注
古代オリエント博物館
ナイト講座第11回「仏教音楽のルーツ -ゾロアスター教-」
日時:2018年2月16日 19:00〜20:00
会場:サンシャインシティ文化会館7階会議室