量子論には、常識ではかんがえられない独特な解釈があります。
グラフィックサイエンスマガジン『Newton 2018年3月号』の新連載「量子の世界」第1回では、「“半死半生”のネコは実在するか?」と題して、原子や電子などのミクロな世界の粒子のふるまいを説明する理論「量子論」(量子力学)の独特な解釈について解説しています。




シュレーディンガーのネコ
箱のなかのネコの生死は、観測者が生死を確認するまで、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているというものです。

ネコの生死は、箱の中をのぞいて確認するまで、外からはわかりません。(中略)箱の中を確認した瞬間に、はじめて猫の生死が確定するというのです。

電子などは、シュレーディンガーのネコの「生」と「死」のように、複数のことなる状態を同時にとれることが、実験によって明らかになっています。


たとえば電子は “波” でもあり “粒子” でもあります。粒子は、観測するまで一つに決まらず(不確定)、特定の状態としては実在していないということになります(非実在性)。

物理学者ユージン=ウィグナー(1902-1955)は、ネコの生死が決まるのは、意識をもつ観測者がネコの生死を認識したときだと主張しました。つまり、ネコの生死を決めるのはわれわれの意識だというのです。この解釈は、「人類が登場するまで、宇宙全体の状態は確定しなかったのか?」といった批判をあびました。

一方「多世界解釈」では、観測されると、ネコが生きている世界と、ネコが死んでいる世界にわかれてしまうとかんがえます。世界とは宇宙のことです。世界に存在するすべての人や物がことなる世界(並行世界、パラレルワールド)に枝分かれします。

量子論(量子力学)の適応範囲はミクロな世界にかぎるものではなく、もっと大きい世界(マクロな世界)にも適応できることが実験的に確認されてきました。

このような解釈は、人間の認識の問題であり、それは人間(主体)と外界(環境)とのかかわりから生じ、人間の意識(心)のなかでおこります。意識(心)とは、情報処理のしくみといいかえてもよいでしょう。人間の意識(心)はどのようになっているのか、興味がつきません。

▼ 参考文献
『Newton 2018年3月号』ニュートンプレス、2018年3月7日発行