人々の生活様式、農業、儀礼、自然環境などを想像していると、人間と自然のやりとりによって文化が成長していくことがよくわかります。
古代アンデス文明展が国立科学博物館で開催されています(注)。

第3展示室では、ナスカ文化(紀元前200年頃〜後650年頃)とモチェ文化(紀元後200年頃〜後750年/後800年頃)について展示・解説しています。ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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使用跡のある木製農具(ナスカ文化)
刃から柄の方向にむかって目立つ使用痕があります。装飾はありません。畑をたがやすためにつかわれたとかんがえられます。



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持ち手紐の付いた織物バッグ(コカ袋?)と房の付いた織物バッグ(ナスカ文化)
コカの葉は貴重品であり、高地の人々が高山病対策としてとくによくかんでいました。しかし海岸部ちかくでコカ袋が発見されたことから、標高のひくい地域でもコカの葉をかむ習慣があったとかんがえられます。



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ナスカの地上絵の例(図録から引用)


ナスカの地上絵に関してはつぎのような事実が確認されています。

  • ナスカの人々は農業をいとなんでいた。
  • ナスカの人々は、降雨による水の恵みがほとんど期待できない過酷な自然環境のなかでくらしていた。
  • アンデスから流れてくる川(雪解け水)や地下水からの供給は不安定であった。
  • 干ばつの影響を受けやすかった。
  • 地上絵といえば、動物や鳥たちを描いたものが有名だが、それ以外に、幾何学模様や直線上の地上絵が無数と言ってよいほど引かれている。
  • 台形の形をした地上絵の祭壇には、スポンディルス(ウミギクガイ)などの水の儀礼に用いられる供物がおかれていた。
  • 多くの地上絵は一筆書きで描かれている。

以上からつぎの仮説がたてられています(注2)。

ナスカの人々は地上絵のラインの上を行進しながら、水を求めて祈ったのではないだろうか。地上絵は水の儀礼の場として重要だった。






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リャマの背に乗る男をかたどった土器(モチェ文化)
リャマは唯一の荷役動物であり、とても重要な存在でした。



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トウモロコシの穂軸の姿をした神を描いた土器(モチェ文化)
トウモロコシはモチェのみならず、アンデス全体で神聖な植物でした。



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チチャ造りをする男女を表した鐙型注口土器(モチェ文化)
チチャ(トウモロコシ酒)をおそらくつくっている場面をあらわした壺です。チチャは、アンデスの社会活動や儀礼に欠かせない飲みものでした。




ナスカの地上絵については知らない人はいないとおもいます。今回の特別展では「水の儀礼」説がとなえられています。人口がふえて都市化がすすむと、農業の規模も大きくしなければなりません。水や豊作の儀礼もおのずと大規模になり洗練されていきます。

農業や儀礼、人々の生活様式などは総称して文化とよんでもよいでしょう。本展をみていると、文化というものが、人間と自然のやりとりによって生まれ成長していくということがとてもよくわかります。「水の儀礼」説も説得力をもってせまってきます。人間から自然にいたるまでを総合的にみていくと文化がわかってきます。


古代アンデス文明展
特設サイト

▼ 注2:ナスカの地上絵
1930年代、アンデス山脈をこえてとんだ南米初の飛行士たちがペルー南部海岸の砂漠地帯に巨大な絵画を発見しました。ナスカの地上絵です。ペルーの首都リマから南へ 440 km、800 k㎡ ものひろさ(東京ドーム1万7千個分)にわたってえがかれています。

地上絵には、大きくわけてふたつの種類があります。ひとつは、サル(長さ80m)やクモ(長さ45m)、種類がはっきりとわからない植物などの動植物の絵です。もうひとつは台形・三角形・ジグザグ線などの幾何学模様です。最近の研究では、地上絵のラインの上をナスカの人々が行進しながら水をもとめて祈ったのではないかとかんがえられています。

ボリビアのある村では、ナスカとおなじようなラインの道をつかっている人たちが今でもいて、彼らは、楽器をならしながらその道をあるき、山の神に雨のめぐみを祈るのだそうです。「水の儀礼」説を支持する事例といえるでしょう。