アンデスでは、およそ 5000 年前から都市文明が発達、インカ帝国成立後には本格的なアンデス文明が発展するはずでしたが、ヨーロッパ文明にほろぼされました。アンデスの悲劇がよみとれます。
古代アンデス文明展が国立科学博物館で開催されています(注1)。およそ 5000 年前から、インカ帝国がほろびる 1572 年までのアンデスを代表する9つの文化を概観し、約 200 点の貴重な資料をみながら、古代アンデス文明の全容を総合的に理解するという企画です。とくに、ティワナク遺跡(ボリビアの世界遺産)からの資料はすべて日本初公開であり一見の価値があります。

9つの文化とはつぎのとおりです。

  • カラル
  • チャビン
  • ナスカ
  • モチェ
  • ティワナク
  • ワリ
  • シカン
  • チムー
  • インカ

これらのうち、カラル、チャビン、ナスカ、モチェ、ティワナク、シカンは都市あるいは都市国家でした。

アンデス最古(紀元前 3000 年ごろ)のカラルは、ペルー中央海岸のノルテ・チコ地方にある都市遺跡のひとつであり、0.6 平方キロメートルの土地に住居跡や半地下の円形広場、6個以上のピラミッド型建築物などが整然とならんでいます。アンデスでも、メソポタミアや古代エジプトなどとかわらないふるい時代に文明がおこっていたことがこの遺跡からわかりました。

チムーは、モチェとシカンの文化的遺産をうけついだ北海岸の王国でした。13 世紀から軍事的な強国に成長し、ほかの都市国家をほろぼして海岸地帯を支配する大王国(領土国家)になりました。そしてアンデス全域の征服をもくろんだのですが、そこに登場したのがインカでした。

インカとは、もともとはインカの王族をさす言葉であり、インカ人たちは、のちのインカ帝国の首都クスコあたりでくらしていた小さな集団でした。しかし 15 世紀に戦争を開始し、1476 年頃にはチムー王国をほろぼしました。そして 100 年のあいだに、北は現在のコロンビア・エクアドル、南はチリ北部・アルゼンチンの一部にまでいたる大きな領土国家・インカ帝国をきずきあげました。アンデスの統一です。

こうしてアンデスは、都市文明の段階をおえ、本格的な「アンデス文明」を発展させるあらたな歴史的段階にはいったはずでした。

ところが、1532年、スペイン人 征服者たちがやってきたのです。抵抗むなしく、1572年、インカ帝国は滅亡しました。ヨーロッパからもたらされた伝染病(感染症)の影響も大きかったといわれています。

スペイン人とインカ帝国の出会いはまことに不幸な事件でした。これは、ヨーロッパ文明とアンデス文明との文明の衝突でした。もし、この衝突がなかったなら、アンデス文明は独自文明として発展・成熟したにちがいありません。それは、ヨーロッパ文明や中国文明・イスラム文明・ヒンドゥー文明にもならびたつ大きな文明だったかもしれません。

ヨーロッパ文明は排他的な文明であり、ほかの文明を尊重しないどころか文明としてみとめず、野蛮・未開として見くだす癖があります。世界の多様性もみとめません。

こうして世界は、多様性のひとつをうしないました。人類全体にとっても損失が大きかったといえるでしょう(注2)。

本展のタイトルは「古代アンデス文明」展です。「古代アンデス文明」とはいえても「アンデス文明」とはいえません。ここに、アンデスの歴史的な悲劇をよみとることができます。



▼ 注1
古代アンデス文明展
特設サイト

▼ 注2
生命科学や進化論の近年の研究により、多様性をうしなうことは種の弱体化をもたらし、絶滅への道へすすんでいくことがあきらかになっています。