南方熊楠は自然の全体性を追求しました。フィールドワークをふまえた創造が重要です。
中沢新一著『熊楠の星の時間』(講談社)は南方熊楠の仕事と創造過程について解説しています。熊楠はエコロジーの先駆者であり、アクティビストでした。



明治39年(1906年)、日本政府は、神社合祀の勅令を発布しました。大きな神社はのこして小さな社や祠は合祀するという内容でした。森にあった社は撤去され、その土地は売却されていきます。ふるくから日本にあった森が伐採され消滅していきます。これは、自然の生態系と人間の精神を破壊するものです。熊楠は、全身全霊で反対運動にうちこみました。

たとえば熊楠が生活していた紀伊半島の広葉樹林帯は、ゆたかな下草が育成し、コケ類・キノコ類・粘菌類が繁茂します。微生物の宝庫でもあります。これらの生物群は、相互に影響をおよぼしあい関連しあいながら全体をまきこんだ動的な統一体、生態系をつくりだしています。そこには生きた全体性があります。

熊楠は、自然(天然)のなかにふかくふみこんでいくことによって自然のしくみに気がつきました。西欧人のように自然を対象とするのではなく、その全体性にいだかれることによって、ロゴスをこえた、全体性をもってうごく知的作用が人間の内部にも目覚めます。自然のエコロジーは心のエコロジーにつながっているのであり、自然の破壊は心の破壊にもなるのです。

反対運動はしだいに大きくひろがり、大正元年(1912年)ごろになると不合理な神社合祀はなくなり、大正9年(1920年)には貴族院が「神社合祀無益」を決議しました。




熊楠は、粘菌の生態にとくに関心をもって研究をつづけていました。

粘菌にであうには、梅雨時の森にはいっていくのがよいでしょう。うつくしい色彩をした粘っこい感触の生物らしきものがくさった樹木の表面などにはりついており、根気よく観察をつづけているとゆっくりとそれがうごいているのがわかります。これは、ほかの生物を捕食しながら移動している粘菌であり、このときは粘菌は、細胞分裂をくりかえす動物としてふるまっています。

しかし雨がやんであたりが乾燥するとうごきをとめて、いっせいに茎をのばし、うつくしい胞子嚢を先端に成長させ、あたり一面に胞子をとばします。このときは植物のふるまいをします。

このように粘菌は、動物とも植物ともつかぬ異常な生態をもっています。

生命とは、実は、植物と動物、人間と自然、生と死といった、人間による分類や理論の環からはずれた、もっと大きないとなみであるということを熊楠は知っていました。しかし単なる思想としてそれをとらえるのではなく、フィールドワークをおこなって現実をふまえて世界を再構築しようとしたところに熊楠のすごさがあります。粘菌は、そのためのデータを提供してくれるとてもすぐれた存在でした。

ここに、『熊楠の星の時間』の著者である中沢新一さんが提唱する「野生の科学」の端緒があるのであり、西欧流の従来の科学をこえる創造の可能性があるのです。




中沢新一さんは、野生の科学にとりくんでいくための参考として「里山」や「サンゴ礁」などもとりあげています。

里山とは、人のくらす領域である「里」と動物・植物の領域である「山」との中間にある、玉虫色のあいまいな領域のことです。これは、人間と人間ならざるもの連続と分離が両立できるしくみであり、これによって、里から山への移行がいつとはなしにおこってしまいます。

このような里山をフィールドワークすれば、人間と自然という大分類・大分割から自由になって、生命のシステムをとらえなおすヒントがえられるとおもいます。

またサンゴ礁は「海中の森」ともよばれ、実に多様な生物が共生し、陸上の森に匹敵する多様性・全体性をかねそなえています。




熊楠は、今日的にみれば「野生の科学」の創始者だったといってもよいでしょう。熊楠は奇人変人とよばれていましたが、今日のわたしたちからみれば天才です。

熊楠の創造の秘密を知るためには無意識の原初過程にまでふみこまなければなりません。熊楠の心のなかでは、さまざまなことがかたまりになって一挙に浮かんできていたようです。すべててが一瞬にかがやくのです。

そしてそれを文章化したり図解化するときには多元的・重層的に情報がひろがっていきます。そのひろがりは、個々の情報と全体の構造が相即になっています。個が先で全があとでもなく、全が先で個があとでもありません。ひとつの全体は即多様であり、多様な情報は即ひとつの全体になっている。多様性の統一ともいうべきことがおこっていたようです。

このようなことは非常に深遠な問題であり、今後とも追求していくべき課題です。


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▼ 参考文献
中沢新一著『熊楠の星の時間』講談社、2016年5月10日