丸石神(平行法で立体視ができます)
常識にとらわれずに、世界と心と情報処理をみつめなおし、野生への扉をひらくきっかけをみつけるとよいです。
企画展「野生展:飼いならされない感覚と思考」が 東京都港区赤坂の 21_21 DESIGN SIGHT で開催されています(注)。
「飼いならされたくない。管理されたくない。自分らしくありのままに生きたい」
誰もがそうおもいます。しかし一方で、
「飼いならされていた方が無難だ。管理組織のなかにいればメシがくえる。誰からもきらわれたくない」
もうひとりの自分がささやきます。
まだ飼いならされていない領域、まだ管理されていない領域、それが「野生」です。この野生にふれることができなければ発見や創造は不可能だという仮説にもとづき、どうしたらそこへの通路をひらくことができるのか? その扉をひらく鍵をみつけようというのが今回の企画です。
ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
つぎに野生を、〈人-環境〉システムの観点からとらえなおしてみると、野生の領域とは、人の手がはいった半自然(二次的自然)をのぞいた、人の手がはいっていない本来の自然環境のことです(図2)。たとえばアマゾンの奥地とか大山脈地帯とか深海とか。野生の領域はしだいに減少しつつあり、現代人の多くが人工的な環境のなかでくらしています。つまり「飼いならされている」のです。野生の領域を意識的に旅行するなどしないかぎり、野生とは無縁のまま一生がおわります。
もうひとつの野生は心の深層にあります。幼少のときにインプットされた情報があなたの心の深層に潜在しているように、人類が大昔に野生だったころの意識は現代人の心の奥底に潜在しています。人の心には深層意識(潜在意識)があることは心理学者などがよく説明していることです。
しかしその野生にふれることは容易なことではありません。
本展では、野生の領域からうみだされた作品の数々が展示してあります。そこでまずは、これらのなかから気に入ったものをさがしだし、自分なりに情報処理をすすめて、ふかくほりさげてみるのがよいのではないでしょうか。
企画展「野生展:飼いならされない感覚と思考」
会場:21_21 DESIGN SIGHT
会期:2017年10月20日〜2018年2月4日
「飼いならされたくない。管理されたくない。自分らしくありのままに生きたい」
誰もがそうおもいます。しかし一方で、
「飼いならされていた方が無難だ。管理組織のなかにいればメシがくえる。誰からもきらわれたくない」
もうひとりの自分がささやきます。
まだ飼いならされていない領域、まだ管理されていない領域、それが「野生」です。この野生にふれることができなければ発見や創造は不可能だという仮説にもとづき、どうしたらそこへの通路をひらくことができるのか? その扉をひらく鍵をみつけようというのが今回の企画です。
ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
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丸石神は、急流をながれくだりながら、まん丸い形に自然造形された石です。「野生のエレガンス」を感じます。丸石神信仰は、縄文時代にさかのぼるふるさをもつといわれます。
本展は、南方熊楠の思想と方法をベースにしています。
這い熊(柴崎重行、根本勲)
熊は、森にすむもっとも強力な生きものであり、人類にとって大昔から神のごとき偉大な存在でした。熊の体内に秘められた野生を抽象化して表現しています。
Between You and I あなたに続く森(青木美歌)
森でいとなまれる生命の共存と循環をえがきだしています。 Between You and I あなたに続く森(青木美歌)
生をうけたものがもつ野生によって、さまざまな動物は途方もなく多様なつながりをもっています。
縄文土器(水煙渦巻文深鉢)
わたしたちの先祖が野生を手がかりにして創作をにいどんでいたことを知ることができます。
メンディドール(パプアニューギニア)
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本展は、南方熊楠の思想と方法をベースにしています。
南方熊楠は、世界の真実のありさまは「因果関係」のような狭いデータ処理方法ではとらえきることができないことを体験でよく知っていました。熊楠は科学者であると同時に、仏教思想にも深い知識と理解をもっていましたから、「因果」の論理を超える「縁起」のネットワークによって、はじめて世界の実相はわかると考えました。そしてこの「縁起」の超理論を土台に据えた新しい科学方法論を構想したのです。
西洋で発達した近代科学は、あらゆるデータを「因果関係」によって整理します。Aが原因になってBという現象がおこれば、AとBはたがいに因果関係でむすばれているとかんがえます。
しかし東洋では、Aがなりたつためには、表面的に関係がふかいようにみえるBだけでなく、表面にはあらわれていないCやDやEも潜在空間でつながりあって影響をおよぼしあっているとみなします。これを「縁起」とよび、世界は縁起の複雑なネットワークでつながりあって全体運動をしているとかんがえます。このような縁起のネットワークで世界をとらえるのが「野性的発見方法」です。
因果関係にとらわれていると世界に対する理解はせまくかたいものになります。こうして人は、特定の “文化” に飼いならされていきます。
しかし心を野生化すると因果的結合様式がこわされ、縁起的ネットワークがはたらき、物事のつながりがみえるようになってきます。あたらしい発見や発明はそのような心の状態において可能になると熊楠はかんがました。熊楠は、近代科学をこえるこのような科学的方法論を森のなかで構想していたのであり、本展ではそれを「野生の科学」と名づけています。
本展のサブタイトルは「飼いならされない感覚と思考」です。人がおこなう情報処理の観点からこれをとらえなおしてみると、「感覚」とは情報のインプットです。「思考」とはプロセシングです。「飼いならされない」とは、他から影響されることなく、自分の意志や判断によって行動しようとすることであり、このような性質や態度は主体性とよばれます。これはみずから主体的にアウトプットするということであり、主体性はアウトプットとしてあらわれます(図1)。したがって「飼いならされない感覚と思考」のためには主体的な情報処理の実践が必要です。
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本展のサブタイトルは「飼いならされない感覚と思考」です。人がおこなう情報処理の観点からこれをとらえなおしてみると、「感覚」とは情報のインプットです。「思考」とはプロセシングです。「飼いならされない」とは、他から影響されることなく、自分の意志や判断によって行動しようとすることであり、このような性質や態度は主体性とよばれます。これはみずから主体的にアウトプットするということであり、主体性はアウトプットとしてあらわれます(図1)。したがって「飼いならされない感覚と思考」のためには主体的な情報処理の実践が必要です。
図1 情報処理を実践する
つぎに野生を、〈人-環境〉システムの観点からとらえなおしてみると、野生の領域とは、人の手がはいった半自然(二次的自然)をのぞいた、人の手がはいっていない本来の自然環境のことです(図2)。たとえばアマゾンの奥地とか大山脈地帯とか深海とか。野生の領域はしだいに減少しつつあり、現代人の多くが人工的な環境のなかでくらしています。つまり「飼いならされている」のです。野生の領域を意識的に旅行するなどしないかぎり、野生とは無縁のまま一生がおわります。
図2 〈人-環境〉システム
もうひとつの野生は心の深層にあります。幼少のときにインプットされた情報があなたの心の深層に潜在しているように、人類が大昔に野生だったころの意識は現代人の心の奥底に潜在しています。人の心には深層意識(潜在意識)があることは心理学者などがよく説明していることです。
しかしその野生にふれることは容易なことではありません。
本展では、野生の領域からうみだされた作品の数々が展示してあります。そこでまずは、これらのなかから気に入ったものをさがしだし、自分なりに情報処理をすすめて、ふかくほりさげてみるのがよいのではないでしょうか。
本展は、かなり深遠なテーマをとりあつかっており、常識にとらわれていると「何だこれ?」となります。成果をもとめるのではなく、世界と心と情報処理をみつめなおすきっかけとして活用してみるとよいとおもいます。
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会場:21_21 DESIGN SIGHT
会期:2017年10月20日〜2018年2月4日