縄文時代の人々は栽培をすでにおこなっていました。人間と自然環境からなるシステムに大きな変化がおこりはじめました。
縄文時代の人々はどのような植物を食料とし、道具や衣服の素材としてどんな植物を利用していたのでしょうか? 工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館編『ここまでわかった!  縄文人の植物利用』(新泉社、注1)が解説しています。国立歴史民俗博物館でおこなわれた共同研究「縄文時代人と植物の関係史」の研究成果です。




  • 縄文人がクリを育てていた。
  • 縄文人がマメ(ダイズやアズキ)を育ててていた。
  • 縄文人が、ツル植物・シダ植物などをつかって編み物・縄・かごをつくっていた。
  • 縄文人がウルシをつかっていた。


縄文人は、狩猟採集民だったと従来はかんがえられてきましたが、近年の調査・研究により、縄文人は植物を積極的に利用し、栽培までおこなっていたことがあきらかになりました。これは、日本列島における農業の起源が縄文時代までさかのぼるということです。

縄文人は、自然環境に依存しながらも一部の植物に対しては手をくわえ、半自然状態の植物をつくりだしていました。またクリをそだてていたということは、そこは、自然林ではなく二次林になっていたということです。こうして、植物(食料)の生産・増産をある程度おこなっていました。




狩猟採集民は自然環境に依存・適応し、自然環境と一体になって生きていました。それは、狩猟採集民とそれをとりまく自然環境だけでなりたつシステムでした(図1)。

180112a 縄文人
図1〈狩猟採集民-自然環境〉システム


しかし縄文人は、植物を栽培したり、植物を利用して手のこんだ道具をつくったりしました。なまのままの自然にただ依存するのではなく、半自然(二次的自然、手のはいった自然)を意識的につくりだしていたということです(図2)。

180112b 縄文人
図2〈縄文人-半自然-自然環境〉システム


図1の段階から図2の段階への移行は非常に大きな転換だったとかんがえられます。人類史をかんがえるうえでも重要です。半自然のゾーンができることによって生活様式ががらりとかわります。定住ができるようになります。地域社会が発達します。文化が発展します。日本のその後の歴史、さらに現代の日本社会・日本文化にも影響をおほぼしているはずです。

図2への転換により、人間は “動物” ではなくなった、 “動物” から独立したといってもいいかもしれません。




現世の人間と植物の関係については民族植物学者や生態人類学者がこれまでも研究してきました(注2)が、近年、縄文時代の人間と植物の関係があきらかになるにつれて、人間と自然環境がからみあった歴史についての認識が急速にふかまりつつあります。人間と植物の関係について知ることは地球環境問題を解決するためにも重要です。


▼ 関連記事
事実を枚挙して仮説を形成する 〜梅原猛著『縄文の神秘』〜
文明のはじまりをみる -『100のモノが語る世界の歴史〈第1巻〉文明の誕生』/ 大英博物館展(5)-
縄文時代を想像する - 東京国立博物館・考古展示(1) -
器をみて縄文人の生活を想像する - 東京国立博物館・考古展示(2)-
全体像をイメージしてから作業を実施する - 東京国立博物館・考古展示(3)-
「草木国土悉皆成仏」の思想にふれる -「若冲展」(4)-
手をつかいこなして道具をつくる - 特別展「世界遺産 ラスコー展」(5)-
野生の思考を再生する - 100de名著:レヴィ=ストロース『野生の思考』-
縄文人の精神性をよみとる - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(1)- 引いて見よ、寄って見よ、名を付けよ -『DOGU 縄文図鑑でめぐる旅』(東京国立博物館)-
インプットと堆積 -「日本人はどこから来たのか?」(Newton 2017.12号)-
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』(シネマ歌舞伎)

▼ 注1
工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館編『ここまでわかった!  縄文人の植物利用』新泉社、2014年1月6日

▼ 注2
増田研・梶丸岳・椎野若菜編『フィールドの見方』(100万人のフィールドワーカーシリーズ)古今書院、2015年6月12日