このんで脳をだますバーチャルリアリティが進歩しています。日常生活や娯楽・芸術などに錯覚をいかすこころみがひろがっています。
『Newton 錯視と錯覚の科学 からだの錯視』(Kindle版)は、身体の錯覚、複合的な錯覚、トリック(だまし)などについて解説しています(注1)。




“ありえないもの” を知覚してしまう。
ありえない “動き” をみせる立体
視覚がみちびく身体の錯覚
“すべてが見えている” という錯覚
日常生活で役立つ錯視


わたしたち人間は実際とはちがう形を知覚してしまうことがあります。これには、ものを見るときの思い込みが大きく関係しています。わたしたちは3次元空間の世界でいきているので、えがかれた図形に対して、奥行きの情報を頭のなかでおぎなって見てしまいます。

この錯覚を利用して、「ありえない動きをみせる立体」をつくる技術者(?)がいます。これは一種のトリック(だまし)であり、「不可能モーション」とよばれます。

また、自分ののっている電車が発車したとおもったら、実は、となりの電車がうごいていたという経験があるとおもいます。最近の電車は振動がすくないのでこのような錯覚がおこりやすいです。視野の大部分が一様にうごいて見えたとき、自分の体がうごいたと錯覚します。これを「ベクション」といい、フライトシミュレーターや映画・テーマパークなどでつかわれて大きな効果をうみだしています。

視野(画面)が大きいほどその効果も大きくなり、また聴覚や重力感覚・皮膚感覚などもくみあわさると「自分が動いている」という感覚がつよくなります。これはバーチャルリアリティ(仮想現実)であり、とくに最近の映画では、「観る」から「体感」する時代へ(注2)という大きな進歩がみられます。

そしてこのようなバーチャルリアリティによって、身体感覚だけでなく、気分や感情・記憶・時間感覚までもかわってしまうことがあきらかになっています。

このような錯覚は、「脳が、感覚と身体に関してつじつまあわせをする」からおこるとかんがえられており、これはある意味、わざと脳をだましているのですが、錯覚を “悪者” あつかいするのではなく、積極的にいかしていこうというのが近年の大きなながれです。

しかし、
「わたしはすべてを見ている」
「自分は注意ぶかい人間だ」
そう自信をもっている人もいるでしょう。はたしてそうでしょうか?

わたしたちの視覚システムは、途切れ途切れな映像をつなぎあわせて、一本のなめらかな映像としてそれらを見る機能をもっています。実際には全体が見えていなくても(断片の集合にすぎなくても)、情報をおぎなって、全体が見えたような気になるのです。いいかえると、何かを見落としていてもそれに気がつきません。

しかしこのような知覚システムがあるから、一本の映画をなめらかに全体的に見て感動できるのです。舞台芸術でもそうです。

本書では、日常生活でも役立つ錯覚として、化粧や服装・ファッションなどの例も紹介しています。

  • 目をきれいにみせるアイライン
  • 年齢よりもわかくみせる髪型
  • 体をほそくみせる服装
  • 足をながくみせる服装



もう説明はいらないでしょう。錯覚は、いたるところで “役立っている”(?)のです。錯覚のしくみがわかってくると、おもしろくてやめられない。 もはや錯覚だらけ。人間の世界は錯覚の世界です。

ということは、人間はみな、だましあいをおこなっていることになります。するとあとになってから、
「こんなはずじゃなかった」
「どうしてこんなことになったのか」
「あのときに間違いがはじまった」
「あれは錯覚だった」
なんてことに。

それはともかく、近年、錯覚の研究がいちじるしくすすんでいます。錯覚は、人間の情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の過程でおこります。人間特有の情報処理のなかでおこるべくしておこります。

認識や判断をするにあたって錯覚をどうとりあつかえばよいか、大きな課題です。認識や判断というと、これまでは、教育的な意味あいがつよかったですが、これからは、情報処理の立場からとらえなおさなければなりません。認識・判断は、プロセシングのあらわれにほかなりません。

できれば、それがどのようなプロセシングなのかを自覚したいところですが、心のなかのできごとなので自分でもよくわからないことが多いです。そのようなときにはアウトプットを点検してみるとよいでしょう。あなたのアウトプットはあなたのプロセシングを反映しているのであり、あたなの情報処理の結果にほかならないのですから。


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錯視や錯覚を実験する -『錯視と錯覚の科学』-
眼はセンサー、脳はプロセッサー - 「色覚のしくみ」(Newton 2015年 12 月号)-

▼ 注1:参考文献
『Newton 錯視と錯覚の科学 からだの錯視』(Kindle版)ニュートンプレス、2016年9月26日
※ この電子書籍は、2013年4月に発行された『錯視と錯覚の科学』(ニュートン別冊)の第5章・6章を電子版にしたものです。

▼ 注2
TOHOシネマズの MX4D など。