残効による錯覚は日常的におきています。物事をみるときには、空間だけでなく、時間的変化にも心をくばる必要があります。
『Newton 錯視と錯覚の科学 残像と消える錯視』(Kindle版)は、残像の錯視、消える錯視がなぜおこるのか、実際に錯視を体験しながら理解をふかめられる好著です(注)。



つぎのような錯視を体験できます。


色の残効
  • 白黒の写真に色がついてみえる
  • しまの向きと色が対応して残像となる
  • 脳がおぎなった部分も、残像がみえる
ぼけ残効と大きさ残効
  • 同じ画像なのに、前よりくっきりみえる
  • しまの荒さが変化してみえる
形の残効
  • 丸い図形が角ばってみえる
  • あとから見た図形の形が変化してみえる
消える錯視
  • そこにあるはずのものがみえない!?
  • 解像度が低いからみえないわけではない


何かの刺激をうけたあとにおきる現象は残効とよばれ、視覚の残効は残像といい、日常的に誰もが経験しています。残効は、視覚だけでなく聴覚や触覚にもあります。

たとえばおなじ画像なのに、くっきりした画像を直前に見たあとにその画像を見るとぼやけて見え、ぼやけた画像を直前に見たあとにそれを見るとくっきり見えます。残効があるので、映像の解像度が高ければつねにくっきり見えるとはかならずしもいえません。

残効は聴覚でもあります。たとえば音楽コンクールなどで、前の人の演奏が下手だと、普通レベルであってもつぎの人の演奏が上手にきこえます。その逆もあります。当然のことです。しかしこんな初歩的なことがわかっていない人が意外に多いです。

したがってコンクールとはかぎらず、人間や物事を評価(順位づけ)するときには十分な注意が必要です。あるいは残効の錯覚はさけられないので、物理的な計測ができない分野では順位づけはそもそもできないともいえます。一方で、映画や芸術の分野では残効をとりいれて大きな効果をうみだしています。

このように、物事の順序や前後関係はわたしたちの知覚に大きな影響をあたえています。物事を見るときには、その空間とともに時間的変化にも心をくばらなければなりません。

本書を丹念に見ていくと、世の中には錯覚が非常に多いことがわかってきます。これは重大なことです。あなたが書いているそのレポートは大丈夫でしょうか? 冷徹なインプットにもとづいた適正なプロセシングがおこなわれているでしょうか。情報処理のエラーがおこっていないでしょうか。本書をつかった錯視体験をふまえて、みずからのインプットとプロセシングをあらためて点検してみるとよいでしょう。


▼ 関連記事
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眼はセンサー、脳はプロセッサー - 「色覚のしくみ」(Newton 2015年 12 月号)-

▼ 注:参考文献
『Newton 錯視と錯覚の科学 残像と消える錯視』(Kindle版)ニュートンプレス、2016年9月26日
※ この電子書籍は、2013年4月に発行された『錯視と錯覚の科学』(ニュートン別冊)の第4章を電子版にしたものです。