南方熊楠はエコロジーの先駆者でした。博物学的なデータベースをふまえてフィールドワークをおこない、エコロジー運動にそれらの知見を結実させることができます。
生誕 150 年記念企画展「南方熊楠 -100年早かった智の人-」が国立科学博物館で開催されています(注)。熊楠の博覧強記とフィールドワークは、やがてエコロジーへと結実していきます。

明治政府は1906年、神社合祀に関する2つの勅令を発布します。このままでは、貴重な生物をはぐくんだ鎮守の森がきえてしまう。熊楠は、各界の有識者に支援をもとめ、反対運動をすすめていきます。

雑誌『日本及び日本人』においてつぎのようなかんがえをしめしました。


  1. 神社合祀で敬神の思想が高まったというのは事実ではない。
  2. 合祀は村民の融和を妨げる。
  3. 合祀は地方衰退の原因である。
  4. 合祀は村民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する。
  5. 合祀は郷土愛、愛国心を損ねる。
  6. 合祀は土地の治安と利益に大きな害になる。
  7. 合祀によって、史跡・古伝が滅却されてしまう。
  8. 合祀は、天然風景や天然記念物を滅亡させてしまう。


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『日本及び日本人』
(平行法で立体視ができます)


なかでも生物の絶滅については、「植物の全滅は狭い範囲から一斉に起こり、どんなに後でも回復しないことを自分は見てきたのだ」と現場での経験をしめしています。

明治政府による神社合祀は、町村合併にともなって複数の神社を一町村で一つに統合し、廃止された神社の土地を民間にはらいさげるというものでした。実は、はらいさげられた土地の森林資源を売却し、日露戦争(1904〜1905年)の戦費の借金を返納するという経済的な目的がありました。

1911年8月、熊楠は、民俗学者の柳田國男に2通の手紙をたくし、東京帝国大学教授の松村任三への仲介を依頼、環境をまもることの大切さをうったえました。柳田は、松村の許可をえてこの2通を 50 部印刷し、「南方二書」として各界の有識者に配布、熊楠の反対運動を支援しました。

田辺湾にうかぶ神島(かしま)はちいさな島ですが照葉樹の原生林が保存されており、樹木分布図をここで熊楠はつくりました。そしてこの自然をのこす運動をおこし、その結果、1935年に、国の天然記念物に指定されました。




熊楠は、博物学的な豊富な知識と緻密なフィールドワークによってえられた知見を、日本で最初の環境保全活動に発展させました。熊楠はエコロジーの先駆者でした。


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▼ 注
南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」
場所:国立科学博物館・企画展示室(日本館1階)
会期:2017年12月19日~2018年3月4日