人工知能は、人間の情報処理を支援する装置としてつかうべきです。本当にとりくみたいテーマをきめて、情報処理訓練をすすめるようにします。
「人間ってナンだ?超AI入門」が NHK・Eテレで 12 回にわたって放送されていました。人工知能(AI)の進歩はめざましく、人工知能が社会を劇的にかえようとしています。そのとき人間は一体どうなるのでしょうか?

人工知能は、人のパターン認識のつみかさねをデータ化し、人間の脳の構造を模してその情報伝達の仕組みを機械で再現することで実現しました。一方で逆に、人工知能の開発によって、人間がおこなっている認識の仕組みについての理解がふかまりました。人間の認識とは情報処理にほかなりません。

将来的に、人工知能とロボットがひろく普及した場合、人間の仕事の多くをそれらがおこなうことが可能です。しかしそれでは、人間の情報処理能力は退化してしまいます。

たとえばコンピューターが開発されたので人間が計算をやる必要はなくなりました。すると小学生が計算練習や算数を勉強する必要もなくなったのでしょうか。そうではありません。小さいときから計算練習をすることはその人の情報処理能力をそだてます。計算力がよわい人はほかのこともよわい傾向があります。

あるいは高度な翻訳アプリが開発されたからといって、それをつかっているだけだったら外国語の能力はそだちません。やはり、わかいときから外国語の勉強をする必要があり、それによっても情報処理能力がそだちます。

そして情報処理能力を身につければ、その能力はあらゆる分野に応用できるのであり、実際、数学や外国語ができる人はほかの分野の仕事もできる傾向にあります。




似たようなことは身体の健康増進についてもいえます。今日では、自動車・鉄道・電動自転車など、さまざまな移動手段があり、普通に生活するだけでしたら運動をしなくてもすみます。しかし運動をしなかったら病気になります。テクノロジーが発達し、運動をしなくてもすむ時代になったからこそ意識的に運動をしなければなりません。身体の健康を増進し体力をつけるためには何歳になっても適度な運動が必要です。

これとおなじで、心の健康を増進するためには情報処理をみずからつづける必要があります。なかんずく主体的なアウトプットがもとめられます。

たとえばどこかに旅行してとてもいい経験をしたとします。しかしそれだけでなく、帰宅してから旅行記を書いてみると(アウトプットしてみると)、感動がいっそうふかまり、それが一生の財産になることがわかります。もしその旅行記を人工知能がつくったとすれば感動がふかまることも、心の成長もおこりません。

また わたしは、ある研究者からつぎのような話をきいたことがあります。
「論文をつくってくれるアプリがはやくでてくるといいなぁ」
この人は、文章を書くことが苦痛でならないようです。このような人は人工知能にすぐに手をだすでしょう。

この人のように、アウトプットがくるしいと感じる場合は、情報処理能力がないというのではなく、その分野がその人にそもそもむいていない、あっていないといえるでしょう。自分にあった分野、自分にむいている仕事をしている場合には、アウトプットがたのしくてしょうがないと感じます。

人間の情報処理能力を開発するためには、本源的に、みずからの課題を明確にし、本当にとりくみたい主題(テーマ)をえらびださなければなりません。

今回の番組ではここまでは議論されていませんでしたが、人工知能と情報処理、「人間ってナンだ?」という問題をかんがえるときにはこのような観点が必要だとおもいます。テーマ設定は重要です。人生を左右します。


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