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木骨(交差法で立体視ができます)
江戸時代の医学は、伝統医学と西洋医学のたくみな融合でした。日本人は重層文化を発展させました。
国立科学博物館・地球館2階の「科学と技術の歩み、江戸時代の科学技術」コーナーには「江戸時代の医学」に関する展示・解説があります(注)。

ステレオ写真はいずれも交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -

木骨(もっこつ)は、蘭学の解剖知識をとりこんだ漢方医・奥田万里が文政2年(1819年)に製作した人骨の模型です。 非常に精巧にできています。



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『解体新書』の原本(右上)、『解体新書』(翻訳書、左上)
疱瘡相済證(右下)、種痘用具(左下)
『解体新書』は、杉田玄白と前野良沢らが、1774年(安永3年)に出版した西洋解剖書の翻訳書です。原本は、ドイツ人医師 Adam Kulmus 著の解剖書をオランダ語訳した『ターヘル・アナトミア』(Ontleedkundige Tafelen)です。杉田玄白と前野良沢らは、江戸千住小塚原の刑場で腑分け(刑死人の解剖)を実見し、『ターヘル・アナトミア』の正確さにおどろいて翻訳を決意したといいます。

『解体新書』は、日本最初の本格的な蘭書翻訳書であり、この出版を契機に蘭学がおこり、医学だけでなく、日本の近代文明化がすすみました。

疱瘡(天然痘)は幼児の死亡率がたかく、江戸時代にもっともおそれられた伝染病でした。1849年(嘉永2年)、備前藩医・楢林宗健らが種痘をおこない成功をおさめました。幕府は種痘所を開設し、種痘は全国にひろまりました。疱瘡相済證(ほうそうあいすみのしょう)は種痘をうけた証明書です。

種痘の施術は、ガラスなどの容器に牛痘苗をいれて保管、もちはこび、患者の腕などをメスで切り、牛痘苗をうえつけました。

種痘が全国にひろまったことで、蘭学は、漢方にかわって日本における医学の主流となり、明治維新以降の西洋医学へとつづいていくことになりました。 



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華岡流外科道具
江戸後期の医師・華岡青洲(1760-1835)が考案した外科道具です。華岡青洲は、漢方をまなんだのち蘭学もまなび、漢・蘭両方の長所を折衷させました。1804年(文化元年)には、蘭学の臨床外科に、漢方の麻酔薬調合術をくみあわせて、全身麻酔による手術に世界ではじめて成功しました。麻酔剤は、朝鮮朝顔などを主成分として使用し、「通仙散」(つうせんさん)と命名しました。外科手術の道具もみずから工夫をこらし、腫瘍を切断しやすい独特なメスなどをつくりだしました。


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日本の医学は、随・唐(6世紀末から7世紀末)から伝来した中国医学にはじまりました。その基本は「気」であり、身体の構造を「五臓六腑」と「経絡」であらわし、その状態を「陰陽」「五行」「虚実」など、古代中国の宇宙観で解釈しました。

江戸初期の医学には本道と外科と鍼灸がありました。本道は、中国の中世の金・元(13世紀末〜14世紀後半)の医学にもとづき、漢方とよばれ、日本独自の医学として発展しました。

江戸時代中期以降は、西洋の医学である蘭学がさかんになりました。伝統的な漢方医たちのなかに、実証的な蘭学をまなぶ者が多数あらわれ、人体解剖もおこないました。伝統医学と西洋医学が融合し、日本独自の医学が発展していきました。




日本人は、外来の技術・文化を積極的にとりいれ、伝統技術を改善したり、伝統文化と融合させたりするのが得意です。こうして日本式のあたらしいものをつくりだします。これは、自己発展的なやり方というよりも重層文化的な発展といえるでしょう。この方法は、今日の日本人にまでうけつがれています。

自己主張ばかりしているのではなく、外来文化を積極的にうけいれて(インプットして)融合させていく。これは創造のひとつのスタイルです。アメリカ合衆国の方法とはあきらかいにちがいます。

世界の多様な人々が共存していくためには重層文化的な方法が必要です。日本人はもっと自信をもってよいとおもいます。


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▼ 注
国立科学博物館・地球館2階「科学と技術の歩み」