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江戸期の万年時計
(交差法で立体視ができます)
江戸時代に和時計が発達しました。時をきざむことは文明の発展のために必要でした。
国立科学博物館・地球館2階の「科学と技術の歩み、江戸時代の科学技術」コーナーには和時計の展示・解説があります(注)。

ステレオ写真はいずれも交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -

写真の江戸期の万年時計は、1851年(嘉永4年)に田中儀右衛門久重が製作した和時計の最高傑作です。不定時法にあわせた割駒式文字盤などの各種表示や、太陽や月が自動運行する天象儀をそなえ、昼夜の時間や季節のうつりかわりをおよそ1年間 自動で表示できるなど、日本独自の創意工夫が随所にされています。また美術工芸的・意匠的にも大変すぐれたものです。

不定時法とは、室町時代後半から江戸時代まで採用されていた日本の時刻制度であり、日の出から日没までを昼とし、日没から日の出までを夜とし、それぞれを6等分して一刻(いっとき)としていました。



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二挺天符櫓時計(江戸中期)
調速機として、昼用・夜用の2本の天符が採用され、明六つ、暮六つで自動的にきりかわるようになっています。ピラミッド型の櫓台のうえに機械がのっているのでこの名があります。



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オルゴール付き枕時計(江戸末期)
小林伝次郎作が嘉永年間につくった高級置き時計です。オルゴールは日本で最初期のもので、オルゴールを内装した日本最初の時計であるとされます。




機械時計は、16世紀半ばに西洋からつたえられ、日本でつかわれていた不定時法にあわせるために工夫がくわえられ、日本独自の和時計がうみだされました。和時計は、現代の日本人がかんがえる以上に精巧につくられており、あそび心があったり、工芸品としてもすぐれていました。日本人の時計づくりは江戸時代に花ひらき、その伝統は今日までうけつがれているとみなすことができます。

時刻を把握することは文明の発展のために必要なことです。時をきざむ歴史は文明発展のひとつの指標です。時計が発達することによって、人々は、地理的・空間的にはなれていても時刻にしたがっておなじような行動や生活をすることが可能になりました。今日では、時刻なくして組織も国も地球社会もなりたちません。

国立科学博物館の展示をみていると、日本では、江戸時代に文明化(近代化)がすでにはじまっていたことがよくわかります。明治維新以降 急速に発展したという従来の常識はみなおさなければなりません。


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▼ 注
国立科学博物館・地球館2階「科学と技術の歩み」