大津波のデータベースをつくり、日本国民全体で情報を共有することが大事です。
「津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-」プロジェクトが国立民族学博物館が中心になってすすめられています(注)。

たとえば北海道松前の光明寺ではつぎのようにつたえられています。

光明寺(北海道松前郡松前町建石7)
寛保元年(1741年)7月16日、日本海上に浮かぶ離党大島が突然大噴火を起こし、同年19日の早朝から大津波が襲来した。(中略)溺死する者 1,467 名、家屋倒壊 790 戸、破船大小 1,521 隻にのぼり、甚大な被害をもたらした。また、この津波の被害は、青森や佐渡地方にも及んでいる。

火山島の大噴火により大津波がおこる場合があることは学術的にも知られています。

大阪にも大津波の記録があります。

大地震両川口津浪記石碑(大阪府大阪市浪速区幸町3丁目 大正橋東詰北側)
嘉永七年(1854年)、6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生した。(中略)

同年11月4日午前8時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。(中略)

翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。(後略)


このサイトの地図をみると、データ(情報)がまだすくないので、一見すると太平洋側に津波が多いようにみえますが、データがもっとふえてくれば認識もかわってくるとかんがえられます。このデータベースは、津波をつたえる寺社・石碑の情報をあらたに追加できる仕組みになっているので、気がついた人は積極的に投稿してみるとよいでしょう。

このような情報は、海岸付近でくらしている人のみならず、海岸付近をおとずれた旅行者にも役立ちます。知らない土地にきて、海から結構はなれているとおもっていても標高はかなり低いという場合があります。旅行者にも親切な津波情報が必要です。

また津波は、地形によっても変化します。するどい谷のようになったところの湾からは、たとえば高さ 15 m の津波が、標高 30 m までかけのぼってくることがあるので注意が必要です。

このように、うもれている津波記録をほりおこして情報を共有することはとても有意義なことです。地震予知研究とはちがって防災のために実際に役立ちます。しかも普通の市民の参加によって発展していくプロジェクトです。このようなプロジェクトにこそ政府は資金を投入しなければなりません。

自然現象のメカニズム解明と人命をすくう防災法とを混同しないことが大切です。従来の分析的研究とその応用というやり方が、防災・減災そのもにかならずしもむすびつかないことが東日本大震災などであきらかになりました。メカニズムの解明よりも人命のほうが大事です。


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▼ 注
津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-
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