ヤマトタケルは旅立ちます。あたらしい国づくりのために。
シネマ歌舞伎『ヤマトタケル』(作:梅原猛、脚本・演出:市川猿翁)をみました。

畿内に拠点をおいて日本列島を支配しようとする大和の国は、大和に屈服しない熊襲(九州)と蝦夷(東国)になやまされていました。何としても討伐しなければならない。

熊襲と蝦夷の人々は、縄文時代から日本列島でくらす先住民です。彼らは自然の神々をまつり、自然と一体になって心ゆたかにまっすぐ生きる人々でした。

それに対して大和の国の人々は、弥生時代になってから日本列島にやってきた渡来人です。彼らは、米と鉄に象徴される、水田稲作による食料の大量生産技術、すぐれた鉄器・武器、強力な軍事力をもった人々でした。

今回の戦争には、縄文時代と弥生時代という、本来は歴史的・時間的だったものが、地理的・空間的にあらわれているといってよいでしょう。

先住民(熊襲と蝦夷)は「渡来人は侵略者」だといいます。それに対して渡来人(大和)は「先住民族は未開な野蛮人だといいます」。先住民は、自然と一体になった心ゆたかな暮らしをまもろうとします。渡来人は、先進技術をふんだんにつかってあたらしい国づくりをおこなおうとします。

「あたらしい国づくり」
きこえはいいですが、それはおもったよりもむずかしく、けっきょく、欲望がむきだしになった社会ができあがあり、闘争がくりかえされるようになります。底知れぬ利己心、はてしなくつづく欲望。人民は、東から風がふけば西をむき、西から風がふけば東をむく。お金と名誉をもとめるだけの人生をおくります。

すると縄文時代をもう一度とらえなおした方がいいのではないか? 縄文時代の方がよかったのではないか?

しかしヤマトタケルはいいます。
「ふるい因習にしばられていたら、あたらしい国はつくれぬ」

縄文時代にもどることはできません。縄文時代がよかったとは一概にはいえません。矛盾葛藤が生じます。どこに活路をみいだせばよいのか?

ヤマトタケルは、純粋な心で「天翔る」生き方を追求しました。しかし志半ばで絶命、そしてヤマトタケルがのこしたこの「宿題」は、今日にいたるまで解決していないのです。




『ヤマトタケル』は、哲学者の梅原猛さんが3代目市川猿之助(のちの2代目猿翁)のために書きおろした作品であり、1986年に初演され、「スーパー歌舞伎」というあたらしいジャンルをきずきあげた歴史的傑作です。わたしはその再演を約25年前に新橋演舞場でみました。

ひさしぶりに今回は映画でみなおして、前回よりもふかく味わうことができました。ヤマトタケルに託した梅原さんのおもいがよくわかりました。梅原さんの生きざまがヤマトタケルにかさなっていました。

なお今回の映画は新橋演舞場で2012年に収録されたもので、4代目市川猿之助の襲名、香川照之の9代目市川中車の襲名、中車の子息・5代目市川團子の初舞台ということでも話題になりました。


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▼ 注
スーパー歌舞伎 ヤマトタケル