ユーラシア大陸から日本列島へ人と文化が流入し「堆積」することにより日本の礎が形成されてきました。
グラフィックサイエンスマガジン『Newton』2017年12月号からはじまった新連載「日本の起源」(第1回)では「日本人はどこから来たのか」について解説しています。




日本では、後期旧石器時代(3万8000年前〜1万5000年前)の遺跡が、1万以上も発見されています。この遺跡の年代を精査すると、3万8000万年前頃を境に、遺跡の数が急増していることがわかりました。

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わたしたち人間の共通の祖先は、約 20 万年前にアフリカで誕生した「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」です。この新人の集団の一部が、約7万年前に、アフリカからユーラシア大陸へ旅立ちました。そしてその一部が日本列島にまでたどりついたのです。遺跡の調査から、日本列島に新人が最初にたどりついたのは約 3 万 8000 年前であると推測されています。

この最初の「日本人」が日本列島にわたってきたルートとしてはつぎの3つがかんがえられます。

  • 対馬ルート
  • 沖縄ルート
  • 北海道ルート

当時の地球は氷期とよばれる気温のひくい時代だったので、今よりも海面は 70〜80 メートルほどひくく、対馬海峡はとてもせまい海峡であり、大陸と北海道は陸つづきでした。

後期旧石器時代のあとにつづくのは 縄文時代(約 1 万 5000 年前〜約 3000 年前)です。縄文人の人骨の DNA 分析によると、東南アジアなどの南方に起源がある集団と、シベリア付近に起源がある集団がみとめられます。すなわち大陸から日本には、南からも北からも はいってきているということです。

そしてそのあとにつづくのは 弥生時代(約 3000 年前〜約 1700 年前)です。縄文時代には、別の民族が大陸から大量に はいってくることはなかったとかんがえれれていますが、弥生時代になると、大陸からの「渡来人」がたくさんおしよせてきました。渡来人は九州に上陸し、徐々に東へと勢力を拡大していきました。彼らは稲作文化をもった人々であったので、日本列島にも稲作文化が徐々に普及していきました。


現代の日本人の DNA には、縄文人と弥生人の DNA がおおむね 2:8 の割合で残っています。つまり、大陸からやってきた大量の渡来人は、日本にすでに住みついていた縄文人を淘汰することなく、縄文人とまじり合いながら勢力を広げていったと考えられます。


こうして現代の日本人の基礎が形成されました。

弥生時代のあとにつづくのは 古墳時代(3世紀頃〜7世紀頃)です。古墳時代の人骨の DNA 分析によると、この時代にも、多くの人々が大陸からやってきていると推測されます。




このように、 DNA の分析技術が発達したことによって科学的・定量的な研究ができるようになり、日本人の起源に関する認識は急速にすすんでいます。

日本人は、アジアのさまざまな地域に起源をもつ人々が、日本列島という比較的せまい地域でまじりあうことによって形成された民族であるといえるでしょう(注)。




一般的に歴史は、年表によって時系列で理解していきますが、わたしはここで、地層が下から順番にかさなるように、時代とその時の文化が下から順番にかさなっているととらえたいとおもいます。それぞれの時代に、人と文化が大陸から日本列島に流入し、「堆積」し、「地層」が形成されたというイメージです(図1)。


171102 日本
図1 層序学(地層学)的に歴史をとらえる


大陸からの流入は「インプット」といいかえてもよいかもしれません。日本人と日本文化を、インプットと堆積をキーワードにしてとらえなおすとおもしろいです。

そしてこれらの結果 形成されたのが重層文化です(注2)。日本人は基本的には、外来文化をうけいれる民族であり、外来文化を日本流に改善しながらかさねていくという習性があります。その礎は、3 万 8000 年前から7世紀頃までのあいだにすでにできあがっていたのではないでしょうか。

人それぞれに、幼少時にインプットされた情報が心の深層に潜在していて、意外にもそれが、その人の人生をうごかしていくように、日本の深層にも、大昔にインプットされたものが堆積していて、意外にもそれが、現代日本人の思考・行動様式に大きな影響をもたらしているとかんがえられます。


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▼ 注1
人の行き来が地理的にむずかしかった北海道や沖縄では、縄文人(年住民)と弥生人(渡来人)の混血はすすまず、縄文系の人々がそのままのこったとかんがえられています。

▼ 注2
重層文化は、日本式の創造のスタイルとかんがえてもよいでしょう。すると「インプット」と「堆積」は創造の方法としてつかえます。

▼ 参考文献
『Newton』(2017年12月号)、ニュートンプレス、2017年12月7日発行