表現することによって、情報処理を完結させ、ファイルを完成させることができます。
たとえば旅行にいくと、あたらしいことを見たり聞いたり味わったりして、膨大な情報が心のなかにはいってきます(インプットされます)。そして記憶されます。
そのような旅行体験はブログなどにアップした方がよいでしょう。アップするということは、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からみるとアウトプットするということです。このとき、旅行体験のすべてをアウトプットすることはまったく不可能ですから、体験を要約したりポイントのみを書きだしたりします。
アウトプットされた情報は旅行体験そのものではなく、体験情報をかなり圧縮・統合してあらわしたものになっています。
旅行先での実際の体験情報は質量ともに膨大であり、それは心のなかに記憶(保持)されています。アウトプットは表面にあらわれたものであるのに対して、体験情報(情報の本体)は心のなかに潜在しているといえます。
図2では、1回の旅行によってえられた体験情報のひとまとまりをファイルとして球でモデル化(図式化)しています。旅行先で体験したことのすべてが体験情報(記憶情報)です。
すなわちアウトプットするということは、情報処理の観点からみると出力であり、ファイルの観点からみると表層構造ということになります。あるいはアウトプットするということと表層構造をつくるということは表現することだといってもよいでしょう。表現とは情報を表に現すことです。
このように人間は、表現することをとおして情報処理を完結させ、同時にファイルを完成させます。情報処理とファイルの双方がそろうことが健全な状態なのだとおもいます。いいかえると表現をしないと(あるいはできないと)、情報処理はすすまず、ファイルもつくられず、心がすっきりしないということになります。
情報処理とは情報の機能的・時間的側面であり、ファイルは情報の構造的・空間的側面です。情報処理の仕組みとファイルの構造を自覚して、旅行などからかえってきたら積極的に表現をするとよいとおもいます。
そのような旅行体験はブログなどにアップした方がよいでしょう。アップするということは、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からみるとアウトプットするということです。このとき、旅行体験のすべてをアウトプットすることはまったく不可能ですから、体験を要約したりポイントのみを書きだしたりします。
図1 情報処理の仕組み
アウトプットされた情報は旅行体験そのものではなく、体験情報をかなり圧縮・統合してあらわしたものになっています。
旅行先での実際の体験情報は質量ともに膨大であり、それは心のなかに記憶(保持)されています。アウトプットは表面にあらわれたものであるのに対して、体験情報(情報の本体)は心のなかに潜在しているといえます。
図2 体験ファイルの構造
図2では、1回の旅行によってえられた体験情報のひとまとまりをファイルとして球でモデル化(図式化)しています。旅行先で体験したことのすべてが体験情報(記憶情報)です。
すなわちアウトプットするということは、情報処理の観点からみると出力であり、ファイルの観点からみると表層構造ということになります。あるいはアウトプットするということと表層構造をつくるということは表現することだといってもよいでしょう。表現とは情報を表に現すことです。
このように人間は、表現することをとおして情報処理を完結させ、同時にファイルを完成させます。情報処理とファイルの双方がそろうことが健全な状態なのだとおもいます。いいかえると表現をしないと(あるいはできないと)、情報処理はすすまず、ファイルもつくられず、心がすっきりしないということになります。
情報処理とは情報の機能的・時間的側面であり、ファイルは情報の構造的・空間的側面です。情報処理の仕組みとファイルの構造を自覚して、旅行などからかえってきたら積極的に表現をするとよいとおもいます。