トロフィー・ハンターたちと動物保護活動をする人々が対立しています。現地政府が法的措置をとる必要があります。
『ナショナルジオグラフィック』(2017年10月号)では、「動物を救うために殺してもいいのか?」と題して「トロフィー・ハンティング」について特集しています。




米国デラウェア州の自宅で、100点余りの "戦利品" にかこまれるハンター。アフリカの狩猟ツアーで仕留めたものだ。12歳で狩猟のとりこになった彼は、「血が騒ぐんです」と言う。「自分では自然保護に貢献する収集家だと思っていますよ」


「トロフィー・ハンティング」というハンティングがあるのを知っているでしょうか。娯楽のための合法的な狩猟のことであり、スポーツの一種とみなしてもよいでしょう。獲物を仕留めた「トロフィー・ハンター」たちは、動物の死体と自分を自撮りして SNS にアップします。そのほこらしげな顔ときたら・・・。

娯楽のためのハンティングは野生動物の保護の財源になっていて、動物とその生息域をまもるための持続的な方法であり、また開発途上国の経済発展ために大きな効果を生みだしているとトロフィー・ハンターたちは主張します。

これに対して、動物保護の活動をしている人々は異論をとなえています。

アフリカ大陸の国立公園や保護区では、1970年から2005年までに大型哺乳類が最大で6割へったといわれています。その原因には、人間の生活圏の拡大や気候変動にくわえてトロフィー・ハンティングもふくまれます。トロフィー・ハンティングは趣味であり、動物保護のためにおこなっているのではありません。希少な動物をころすのは本末転倒です。またハンターが支払う金の行き先は不明瞭です。たとえばジンバブエのある村では村に資金ははいらず、生活改善にもなっていません。

また生態学者は、トロフィー・ハンティングは生態系の崩壊をもたらすと警告しています。たとえばゾウはグループで生息しており、年長の個体がそのなかで重要な役割をになっています。それがころされた場合、グループの崩壊がおこります。また生態系のなかで特定の種(ライオンとか)が減少すると食物連鎖のバランスがくずれ、生態系が崩壊します。

このように、娯楽のためのハンティングをする人々と希少動物の保護をする人々とは対立しています。

しかし最近では、トロフィー・ハンターが SNS に写真をアップすると世界中から批判の嵐がふくそうです。したがってあとは、アフリカなどの現地政府が法的措置をとるかどうかです。開発途上国は経済発展を最優先にしているのでむずかしいのが現状です。しかしトロフィー・ハンティング撲滅のためにたゆまぬ努力をしていかなければなりません。




トロフィー・ハンターたちは、ハンティングは人類進化の過程で大昔からおこなわれてきたことだといいますが、昔の狩猟は、食料をえるためにおこなっていたのであって、趣味ではありませんでした。トロフィー・ハンティングは時間とお金に余裕のある人々の趣味にほかなりません。

彼らは、動物をころして快感をえていますが、もっと本質的には優越感にひたりたいのです。優越感は深層にある劣等感の裏返しです。実は、開発途上地域にいって優越感にひたろうとする人(先進国の)は意外に多いのです。

先進国の人々が、時間とお金に余裕がでてきたときに何をやればよいか? 自分のエネルギーをどこにもっていけばよいか? このような問題が潜在しています。健全で創造的な課題がそれぞれにみつかるとよいのですが。


▼ 参考文献
『ナショナル ジオグラフィック日本版』2017年10月号、日経ナショナル ジオグラフィック、2017年9月30日