日本仏教の基礎をきずいた平安仏教の両雄、最澄と空海について、両者を比較しながら論じています。
著者は、最澄は円的人間、空海は楕円的人間という人間モデルを提出しています。
善行の積み重ねによる成仏を説く最澄、自然神との一体の即身成仏を説く空海。二人の教えは現代人の心の危機を救う。彼らは、山が好きです。奈良時代の仏教は都会仏教ですが、平安時代から山岳仏教といって山を根拠地とする仏教に代わります。円的人間と楕円的人間という新しい人間類型論を提出したいと思う。円的人間とは、その人生に一つの中心をなす原則があり、その原則に従ってその人間の行為が一元的に説明できる人間である。最澄という人間はまさに円的人間の代表で、彼の行為はすべては彼の中心原理、つまり純粋な求道心ですっきり説明ができる。ところが、空海という人間はそう簡単には説明できない。どうも中心点が二つあるのではないかと思われる。一つは彼の世俗的意志である。彼は非常に豊かな才能をもっている。空海の人格のもう一つの中心は、孤独を愛し、隠遁を欲する意志である。世俗的成功を収めた空海とはまったくちがった空海がここにいる。つまり空海は、二つの中心点をもつ楕円的人格をもった宗教家だった。この相矛盾する二つの焦点が互いに対立し、互いに引き合いながら、そこに円的人間では考えられないような巨大な行為の軌跡を生む。そういう楕円的人格をもった人間によってはじめて巨大な事業が可能ではないか。あるときには、現世的意志が勝ち、あるときには遁世的意志が勝ち、人格は大きく揺れながらそこにバランスを保つ。
上記をモデルにあらわすと以下のようになります。
図1 最澄のモデル
図2 空海のモデル
モデルとは、ものごとの本質のみをあらわす図像であり模式図です。
モデルとは、ものごとの本質のみをあらわす図像であり模式図です。
モデルには、多種多様な情報を統合し、さらに、あらたな情報をひきよせる力があります。また、何か行動をおこすときには、よくできたモデルをとりだし、それをモデルにして行動するとうまくいきます。
情報処理能力のたかい人は、単純明快なよくできたモデルを心のなかにもっているものです。
著者の梅原猛さんご自身も、日本国政府をうごかして国際日本文化研究センターという国立の組織を創設したとき、「楕円的人間」である空海をモデルにして行動したのだろうということが本書をよんで十分に想像できました。
情報を言語だけでとらえるのではなく、多種多様な情報を単純明快なモデルに統合してとらえることは重要なことです。
常日頃から、よくできたモデルをさがす努力をし、また、多種多様な情報に接したとき、みずからモデルをえがいてみる練習をするとよいでしょう。
文献:梅原猛著『最澄と空海 -日本人の心のふるさと-』(小学館文庫)小学館、2005年6月1日