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ラーマ2世王作の大扉(19世紀、バンコク都ワット・スタット仏堂伝来)
(平行法で立体視ができます)
スコータイ、アユタヤー、ラタナコーシンというタイの歴史を概観できます。東南アジアを理解するためにタイはもっとも重要な国です。
今年(2017年)は日タイ修好130周年にあたります。これを記念して、日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」が東京国立博物館で開催されています(注1)。

展示室は5室にわかれ、タイの歴史を順にたどることができます。またかつての日タイの交易の様子も知ることができます。


第1展示室「タイ前夜 古代の仏教世界」
  • 5世紀:東南アジアに仏教が伝来しました。
  • 6世紀後半:タイ、チャオプラヤー川流域で仏教が信奉されるようになりました。
  • 8-9世紀頃:マレー半島では、インド後期密教の影響をうけた大乗仏教が信仰されました。
  • 9世紀初頭:クメール人のアンコール朝が成立、アンコール朝はその後11世紀には、ベトナム中部からマンレー半島にいたる広大な地域を支配しました。ヒンドゥー教・大乗仏教、のちに上座仏教が流布しました。

第2展示室「スコータイ 幸福の生まれ出づる国」
  • 13世紀:シャン高原やメコン川流域にタイ族の国が建国されはじめました。
  • タイ中北部、ヨム川中流域ではスコータイが成立します。歴代の王は、スリランカから受容した上座仏教をあつく信仰しました。
  • タイ北部では、ラーンナータイが建国されました。
  • 13世紀は「タイ族の沸騰の時代」とよばれ、タイ文化の基礎がきずかれました。

第3展示室「アユタヤー 輝ける交易の都」
  • 1351年、アユタヤーが建国されました。その後400年にわたり繁栄しました。
  • アユタヤ−は、中国・日本・琉球・中東・西洋などから商品があつまる巨大な市場でもありました。
  • スコータイから受容した上座仏教がはなやかな発展をとげました。
  • ワット・ラーチャブーラナの仏塔からは、当時の繁栄をしのぶ、金属製品や仏像、交易でえた品々が数多く発掘されました。
  • クメール文化の影響もうけました。

第4展示室「シャム 日本人の見た南方の夢」
  • シャムとはタイの呼称です。
  • 15世紀から、琉球を介して、日本とシャムのあいだで交易がはじまりました。
  • 16世紀末から17世紀にかけて、日本では、戦国の世がおさまるにつれて新天地をもとめて浪人や商人が南方に旅立ちました。
  • シャムにも日本人がわたり、日本人町を形成しました。

第5展示室「ラタナコーシン インドラ神の宝蔵」
  • ラタナコーシンとはインドラ神の宝蔵という意味で、現在のバンコク王朝の別名でもあります。
  • 現王朝は、ビルマ軍との戦いで灰燼にきしたアユタヤーの栄光を再現すべく建てられたといっても過言ではありません。
  • なかでも仏教復興事業は王の最重要な仕事でした。
  • ラーマ1世王(在位1782-09)は、王宮内寺院やエメラルド寺院を王宮建設とともに建設し、三蔵経の校訂作業をおこないました。
  • ラーマ2世(在位1809-24)の治世には文芸・歌舞音曲などの芸術がさかえました。
  • 19世紀半ば、近代国家への改革にタイも舵をきりました。


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「ラーマ2世王作の大扉」のクローズアップ
(平行法で立体視ができます) 

ラーマ2世王作の大扉」(写真)は、ワット・スタット(正式名はワット・スタットテープワラーラーム)の仏堂正面(北面)をかざっていた扉です。現在は、バンコク国立博物館が所蔵しています(注2)。ワット・スタットは、ラーマ1世王が1807年に建設に着手し、ラーマ2世王、ラーマ3世王の治世をへて1837年に完成した第一級王室寺院です。

ちかづいてみるとみごとな浮き彫りがみえます。蛙や蛇・亀・鹿・猪・虎などが蓮池につどい、猿や小鳥たちがそのようすをながめています。さまざまな植物や動物が重層的に彫りこまれています。ここは多様性と共生の世界です。(「ラーマ2世王作の大扉」のみ写真撮影が許可されていました。 )




以上のように、「スコータイ→アユタヤー→ラタナコーシン」というタイの歴史を概観することができました。タイというと上座仏教の国ですが、最初から上座仏教がはいってきたのではなく、大乗仏教やヒンドゥー教が初期には はいってきていたということをはじめて知りました。

またわたしは、タイ・シンガポール・マレーシアに行ったことがありましたので、タイの歴史を基軸にして東南アジアをあらためてみなおすことができ、東南アジアがいっそう身近に感じられるようになりました。

東南アジアはインドシナともいわれるように、インドと中国の影響をうけ、両者の文化がまざったような文化をもっています。たとえばタイ料理やシンガポール料理には、インド料理と中国料理がまざったような料理がおおいです。両者のいいとこどりをしているような感じがします。しかし一方でオリジナリティーがよわい、独自の文明をまだつくっていないということもできます。

この点は日本とよく似ていて、日本は、ふるくは中国文明を、明治以降は西欧文明をうけいれて、いいとこどりをしてきました。いいとこどりをしているだけで独自の文明色がよわいです(注3)。

東南アジアも同様に独自色はよわいとおもいます。インド文明(ヒンドゥー文明)、中国文明とはいいますが、「東南アジア文明」とは一般にはいいません。

しかし近年、東南アジアの発展はいちじるしく、経済的なむすびつきが日本と特につよくなってきており、東南アジアなくして日本はやっていけません。将来的に、環太平洋連携を構築していくうえでも東南アジアは重要です。ほかの地域の先進文明が衰退していくなかで、「東南アジア文明」が将来的に構築されていく可能性はとても大きいです。

その中心になるのがタイであるといえるでしょう。したがってタイの歴史と文化を今から知っておくことには大きな意義があるとおもいます。


▼ 注1
 日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」
特設サイト

▼ 注2:ラーマ2世王作の大扉
タイ芸術局は、保存修復費用の支援を住友財団からうけて、2013年から扉の修復をすすめてきました。また九州国立博物館も本扉の保存修理に協力をつづけており、このたび、日タイの協力・交流を象徴する文化財として本展覧会にて実物を紹介することになりました。写真撮影ができたのも幸いでした。

▼ 注3
日本の場合も、「日本文明」という言葉がすわりがわるいのは、先進文明を受容する傾向がつよく、独自の文明色がよわいからです。

▼ 参考文献
『日タイ修好130周年記念特別展 タイ ~仏の国の輝き~』(図録)日本経済新聞社発行、2017年4月11日