情報処理をおこなうときには、メッセージを作品にしてアウトプットするようにします。メッセージをうけとる側は、そのメッセージを理解するようにします。
進歩が近年いちじるしい人工知能が、芸術の創作活動までおこなうようになってきたそうです(注1)。


最近、話題になったのが、こちらの1枚。レンブラントから筆遣いを学んだ人工知能が作り出したものなんです。(中略)

300を超えるレンブラントの作品を、塗り重ねた絵の具の厚さに至るまでスキャンしました。分析には「ディープラーニング」と呼ばれる、画期的な方法が使われました。膨大なデータから、レンブラントの絵画に共通する特徴を人工知能が自ら見つけ出していきます。そして、人間が性別や年齢、服装など、9つの条件を与えます。

すると人工知能は、学び取った特徴をもとに、条件を満たす肖像画を作成。3Dプリンターを使って出力しました。こうして、レンブラントの画風を受け継ぐ、全くの新作が生まれたのです。


人工知能は今、小説や作曲といった分野にも進出しようとしています。人工知能の基本的な方法は、モデルを設定して、人工知能がその作風をまなぶというものです。人工知能はどこまで進歩するのでしょうか。

しかし同時に、人工知能は模倣をこえられるのか、独創的な作品を創造できるのかといった疑問をもつ人もいます。また人間の芸術と人工知能の芸術とをくらべて、どちらがすぐれたものになるのかといった興味もでてきます。

人間の独創をかんがえた場合、それには一般的に直観がともないます。人間の創造では論理ではない直観がはたらきます。この直観は通常の思考とはちがい、そのときにそこでなんでひらめいたのか、本人にもよくわかりません。これは奥ぶかい問題であり、コンピューター・プログラムで解決できることではありません。人工知能は非常に高性能なコンピューターでしかありません。コンピューターには直観がないことをふまえると、人工知能は模倣をこえられないとわたしはおもいます。

しかしそのようなことよりももっと基本的なこととして、画家や小説家や音楽家はなんで創作をするのか、作品をなぜ生みだすのかについて、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からかんがえなおした方がよいとおもいます。

創作とは、ごく簡単にいってしまえば非常によくできたアウトプットをすることであり、作品とはそのアウトプットされたものです。

わたしは先日、チェコの作曲家・ドヴォルザークが作曲したオペラ『ルサルカ』(米メトロポリタンオペラ・ライブビューイング)をみました。ドヴォルザークはこの作品をとおして、自然と人間がまじわり共生しようとしたがうまくいかず破綻、自然から独立してしまった人間と、そのことの寂しさを人々につたえようとしたのだとおもいました。自然と郷土を愛したドヴォルザークならではのメッセージです。

このように芸術家はメッセージをつたえようとしています。画家は絵をつかって、小説家は言葉をつかって、音楽家は音をつかって、映画監督は動画をつかってそれをつたえようとします。創造者とはメッセージのある人であり、作品とは、メッセージをアウトプットしたものです(図1)。


170721 創作
図1 創作の仕組み


人がおこなう情報処理の観点からは、プロセシングによってメッセージは生じ、アウトプットによって作品は生まれるということになります。

このようなことをふまえるならば、芸術家が、メッセージのアウトプットを補助する手段として、人工知能(高性能コンピューター)を活用することはありえますし、あってもよいのです。そのような人は実際にではじめていますし、これから増えていくでしょう。




したがって模倣をこえられるかどうかとか、どちらがすぐれているかといったことよりも、創作(情報処理)のしくみと意義を認識した方がよいでしょう。

メッセージをうけとる側のわたしたちも、メッセージを理解することが重要なのであって、どちらがすぐれているかといった評価あるいは勝ち負けといった競争の問題ではないことに気がつくことが大事でしょう(注2)。


▼ 注1

▼ 注2
たとえばドヴォルザークのオペラはあまり有名ではありません。モーツァルトやワーグナーの方がすぐれているとおもっている人が多いかもしれません。しかしそのような評価の問題ではないのです。評価をしている人にはメッセージが理解できていない人が多いです。