
図1 受動と能動
情報処理をすすめるためには、インプットとアウトプット、受動と能動の両方が必要です。
世の中には、受け身(受動的)な性格の人がいる一方で、能動的な性格の人もいます。学校教育などでは、「能動的な方がいい」と一般論としておしえていますが本当にそうでしょうか?
受動か能動か。情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からこれらをとらえなおすと、受動はインプット、能動はアウトプットに相当します。インプットとは外面から情報を受けることです。情報を受けて内面にとりいれることです。これに対してアウトプットとは外面に情報をだすこと、あるいは外面にはたらきかけることです。この両方が実は必要なのです(図1)。
たとえばインプットはしているがアウトプットはしていない人がいたとしましょう。この人は、自分におこってくることをただまっているという状態にあるか、あるいは組織や他者に依存して生きている人です。主体性がないのです。
このような状態を克服するためにはアウトプットをはじめるのがよいです。みずからプロセシングをすすめ、その結果を主体的にアウトプットするのです。主体性とはアウトプットする能力のことです。
しかし個人のアウトプットをおさえこもうとする学校や組織、場合によっては家庭があるかもしれません。前世紀までの日本にはこのような窮屈な組織がおおかったかもしれません。人間は、アウトプットをおさえられると心身のバランスをくずしてしまいます。そのような場合には人生の転換をするような抜本的な対策が必要になります。
一方で、能動一辺倒という人も問題です。そのような人は自我の拡大をしようとしているだけで、インプットができなくなっているのです。当然、情報処理はすすみません。
図1のモデルをみればあきらかなように、インプットとアウトプット、受動と能動のバランスが必要です。
情報処理の観点にたつと、インプットのときには受動的であるべきであって、アウトプットのときには能動的であるべきなのです。情報処理の場面によって姿勢は転換されるべきです。したがって受け身の姿勢は決してわるいことではないのです。場面転換をしながら主体的に情報処理をすすめることが重要なのであり、これが主体性のある生き方ということになります。
受動か能動か。情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からこれらをとらえなおすと、受動はインプット、能動はアウトプットに相当します。インプットとは外面から情報を受けることです。情報を受けて内面にとりいれることです。これに対してアウトプットとは外面に情報をだすこと、あるいは外面にはたらきかけることです。この両方が実は必要なのです(図1)。
たとえばインプットはしているがアウトプットはしていない人がいたとしましょう。この人は、自分におこってくることをただまっているという状態にあるか、あるいは組織や他者に依存して生きている人です。主体性がないのです。
このような状態を克服するためにはアウトプットをはじめるのがよいです。みずからプロセシングをすすめ、その結果を主体的にアウトプットするのです。主体性とはアウトプットする能力のことです。
しかし個人のアウトプットをおさえこもうとする学校や組織、場合によっては家庭があるかもしれません。前世紀までの日本にはこのような窮屈な組織がおおかったかもしれません。人間は、アウトプットをおさえられると心身のバランスをくずしてしまいます。そのような場合には人生の転換をするような抜本的な対策が必要になります。
一方で、能動一辺倒という人も問題です。そのような人は自我の拡大をしようとしているだけで、インプットができなくなっているのです。当然、情報処理はすすみません。
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図1のモデルをみればあきらかなように、インプットとアウトプット、受動と能動のバランスが必要です。
情報処理の観点にたつと、インプットのときには受動的であるべきであって、アウトプットのときには能動的であるべきなのです。情報処理の場面によって姿勢は転換されるべきです。したがって受け身の姿勢は決してわるいことではないのです。場面転換をしながら主体的に情報処理をすすめることが重要なのであり、これが主体性のある生き方ということになります。