智慧と慈悲がならびたち大乗仏教が発展しました。
今月の NHK Eテレ「100 de 名著」では『維摩経』を解説しています(注1)。指南役は、如来寺住職・相愛大学教授の釈徹宗さんです。
むかしむかしインドのヴァイシャーリーに維摩(ゆいま)という長者がすんでいました。出家者ではありませんでしたが、ふかく仏道をきわめ、すでに悟りをえた人物でした。
これまでに維摩は、釈迦十大弟子とよばれる舎利弗(しゃりほつ)、目連(もくれん)、大迦葉(だいかしょう)、須菩提(しゅぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんねん)、阿那律(あなりつ)、優波離(うばり)、羅睺羅(らごら)、阿難(あなん)らと問答をし、彼らの得意分野をことごとく否定しました。
そして文殊菩薩との問答がはじまります。
維摩は、人間の苦悩の根本的な原因をかたり、自分というものには実体はないといい、自分がもっている枠組みを解体して執着からはなれよとのべています。それは自分の都合を小さくしていくことでもあります。そして苦悩の世俗のなかで社会や他社とかかわりながら実践せよとおしえます。
こうして維摩は、智慧にくわえて慈悲の大切さをのべました。「文殊の智慧」に対して維摩の慈悲といってもいいかもしれません。
ここから、それまでの釈迦の仏教の智惠にくわえて慈悲が重視され、智惠と慈悲がならびたち、その後、大乗仏教が発展していくことになります。大乗仏教の勃興です。これは仏教史における一大宗教改革になりました。そして日本には、この大乗仏教がつたわってきたのです。
このような改革をおこなった維摩とはいったい何者だったのでしょうか?
▼ 注1
NHK Eテレ「100de名著」:『維摩経』
▼ 参考文献
釈徹宗著・NHK編『NHK 100 de 名著 維摩経』 (NHKテキスト)NHK出版、2017年5月25日
▼ 追記
むかしむかしインドのヴァイシャーリーに維摩(ゆいま)という長者がすんでいました。出家者ではありませんでしたが、ふかく仏道をきわめ、すでに悟りをえた人物でした。
これまでに維摩は、釈迦十大弟子とよばれる舎利弗(しゃりほつ)、目連(もくれん)、大迦葉(だいかしょう)、須菩提(しゅぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんねん)、阿那律(あなりつ)、優波離(うばり)、羅睺羅(らごら)、阿難(あなん)らと問答をし、彼らの得意分野をことごとく否定しました。
そして文殊菩薩との問答がはじまります。
文殊菩薩「あなたの病気の原因はいったい何なのでしょう。いつ頃から患っているのですか。何をすればその病いは治るのでしょうか」
維摩「ものごとの本当の姿を理解できないということ(痴)と、自分でもコントロールできないほど次から次へと貪る心(有愛)が原因で、私は病気になってしまいました。これは誰もが罹る病いです。もし、すべての人がこの病気に罹らないでいられるならば、そのときこそ私の病気も完治することでしょう」
文殊菩薩「では、病気にかかっている人自身は、どういう心構えで生きればいいのでしょう」
維摩「自分というものにしがみついてはいけません。私たちの身体は要素が集合したものに過ぎず、しかもすべては刻々と変化し続けています。自分というものは、いつまでもあるような錯覚に陥りがちですが、それこそが〝執着〟であり、苦悩の源となっているのです」
文殊菩薩「菩薩は病人とどう接すればいいのか、病人はどんな心構えで生きていけばいいのか」
維摩「自分が縛られているのに、人を解放することはできません。ではいったい何が束縛で、何が解放なのでしょうか。自らの悟りに安住しているのは仏道を歩む者にとっては束縛です。他者や社会と関わり導く実践がともなう仏教者は解放です。(中略)自ら貪欲・瞋恚・愚痴などから離れ、それを人々のために実践し、人々へと振り向けるのが菩薩の役目なのです。自分だけ悟りを開いて安住することなく、苦悩の世俗の中で社会や他者と関わり続けることが大切なのです」
維摩は、人間の苦悩の根本的な原因をかたり、自分というものには実体はないといい、自分がもっている枠組みを解体して執着からはなれよとのべています。それは自分の都合を小さくしていくことでもあります。そして苦悩の世俗のなかで社会や他社とかかわりながら実践せよとおしえます。
こうして維摩は、智慧にくわえて慈悲の大切さをのべました。「文殊の智慧」に対して維摩の慈悲といってもいいかもしれません。
ここから、それまでの釈迦の仏教の智惠にくわえて慈悲が重視され、智惠と慈悲がならびたち、その後、大乗仏教が発展していくことになります。大乗仏教の勃興です。これは仏教史における一大宗教改革になりました。そして日本には、この大乗仏教がつたわってきたのです。
このような改革をおこなった維摩とはいったい何者だったのでしょうか?
▼ 注1
NHK Eテレ「100de名著」:『維摩経』
▼ 参考文献
釈徹宗著・NHK編『NHK 100 de 名著 維摩経』 (NHKテキスト)NHK出版、2017年5月25日
▼ 追記
宇宙には光と影があります。それは現象であり、その根本には法則があります。法則によって光が生じ、光が生じれば影も生じます。
光と影はつねに一体となって存在し、光だけがある、影だけがあるということはありません。
しかしこのような現象にとらわれていると法則はわかりません。物事の本質が理解できません。根本に法則があるから現象が生じるのであり、現象とはみかけのできごとにすぎません。法則からは、さまざまな現象が生じます。物質も生じます。法則は不変でも、現象や物質はたえず変化していきます。
一方で、宇宙には構造があります。それは、素粒子から宇宙の大構造までの階層構造になっており、しかもフラクタルになっています。そして宇宙に存在するあらゆるものは要素の集合体です。存在するものは、あなたもふくめて、階層構造のなかにおける位置、空間配置によってその存在意義がきまります。
存在するものは、このような構造あるいはネットワークのなかで周囲にささえられて存在するのであり、特定の強者に依存することによって存在するのではありません。それが自律ということです。たとえばインターネットは自律分散システムによってなりたっています。これとおなじで宇宙(世界)も自律分散システムでなりたつのです。
多くの人々が、「成功したい、幸福になりたい」とおもいます。誰もが "光" をもとめます。しかし成功には失敗がともないます。幸福があれば不幸もあります。光のあるところにはかならず影が存在します。光と影、勝利と敗北、成功と失敗、幸福と不幸、裕福と貧困、極楽と地獄・・・。わたしたち人間は二項対立の思考をしています。二項対立があるからこそ、失敗をのりこえて成功し、困難を克服して目的を達成しようとします。それは常識的な生き方、立派な人生です。
しかしその先もあるのではないでしょうか。光と影はみかけの現象にすぎません。みかけの現象にとらわれずに法則に気がつく。物事の本質を知る。すると二項対立がなくなります。光がなくなれば影もなくなります。成功がなければ失敗もありません。幸福がなければ不幸もありません。二項対立がなくなれば苦悩がなくなります。
みかけの現象にはとらわれずに本質を知り、充実をもとめるという生き方もありえるでしょう。階層構造あるいはネットワークのなかで居場所をみつけることができれば、充実した生き方ができるにちがいありません。
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みかけの現象にはとらわれずに本質を知り、充実をもとめるという生き方もありえるでしょう。階層構造あるいはネットワークのなかで居場所をみつけることができれば、充実した生き方ができるにちがいありません。
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