《イヴァンチツェの兄弟団学校》
絵画と音楽を共鳴させて味わうとよいです。民族をつらぬく精神があります。
国立新美術館でミュシャ展が開催されています(注1)。チェコにうまれたミュシャ(チェコ語でムハ)の《スラヴ叙事詩》全20点を、チェコ国外では世界ではじめてまとめて公開する展覧会です。古代から近代にいたるスラヴ民族の苦難と栄光の歴史が超巨大なカンヴァスにうつしだされていました。
音声ガイドには、チェコの作曲家、スメタナとヤナーチェクの音楽もひびいていました。スメタナ作曲 連作交響詩《わが祖国》から、I.「ヴィシェフラド」(高い城)、II.「モルダウ」、IV.「ボヘミアの森と草原」、VI.「ブラニーク」、《私の星》。ヤナーチェク作曲《シンフォニエッタ》。
それぞれの絵画にあわせて選曲されているので、絵画と音楽を共鳴させて味わうことができます。高音質イヤホンをもっていれば貸出機付属のものとつけかえてきくとよいです。
ミュシャの《スラブ叙事詩》をはじめてみて、これまできいてきたスメタナの《わが祖国》がふかく理解できました。視覚と聴覚がシンクロナイズしました。うつくしいモルダウに、かつて血がながれた現実をおもいしらされました。連作交響詩《わが祖国》は、「モルダウ」だけをとりだしてきくことはゆるされず、全曲を通してきくようにしなければなりません。
ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』もひびいていました。ミュシャ、スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークなどには、民族の深層、悲劇、苦悩、自決、闘争、独立、創造といった精神がつらぬいています。
《スラブ叙事詩》の最奥の部屋では写真撮影が許可されていました。美術館でも、最近はときどき部分的に撮影が許可されていることがあります。ただし大変な混雑でした。
何しろ絵が巨大です。ここは盆栽の世界ではありません。 絵画のなかの世界にはいっていけるような気さえしてきます。こちらの世界が絵画のなかの世界に連続しているような、美術館のフロアにいるこちらの群衆が絵画のなかの群衆にまでつながっているような、不思議な錯覚におちいります。ここにいるすべての群衆が解放されようとしているかのようです。巨大な絵画はかつてない視覚体験をもたらします。
▼ 注1
ミュシャ展
音声ガイドには、チェコの作曲家、スメタナとヤナーチェクの音楽もひびいていました。スメタナ作曲 連作交響詩《わが祖国》から、I.「ヴィシェフラド」(高い城)、II.「モルダウ」、IV.「ボヘミアの森と草原」、VI.「ブラニーク」、《私の星》。ヤナーチェク作曲《シンフォニエッタ》。
それぞれの絵画にあわせて選曲されているので、絵画と音楽を共鳴させて味わうことができます。高音質イヤホンをもっていれば貸出機付属のものとつけかえてきくとよいです。
ミュシャの《スラブ叙事詩》をはじめてみて、これまできいてきたスメタナの《わが祖国》がふかく理解できました。視覚と聴覚がシンクロナイズしました。うつくしいモルダウに、かつて血がながれた現実をおもいしらされました。連作交響詩《わが祖国》は、「モルダウ」だけをとりだしてきくことはゆるされず、全曲を通してきくようにしなければなりません。
ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』もひびいていました。ミュシャ、スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークなどには、民族の深層、悲劇、苦悩、自決、闘争、独立、創造といった精神がつらぬいています。
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《スラブ叙事詩》の最奥の部屋では写真撮影が許可されていました。美術館でも、最近はときどき部分的に撮影が許可されていることがあります。ただし大変な混雑でした。
《ロシアの農奴制廃止》
何しろ絵が巨大です。ここは盆栽の世界ではありません。 絵画のなかの世界にはいっていけるような気さえしてきます。こちらの世界が絵画のなかの世界に連続しているような、美術館のフロアにいるこちらの群衆が絵画のなかの群衆にまでつながっているような、不思議な錯覚におちいります。ここにいるすべての群衆が解放されようとしているかのようです。巨大な絵画はかつてない視覚体験をもたらします。
《スラブ民族の讃歌》
▼ 注1
ミュシャ展