上空の視点から物語を想像すると歴史の大きな流れがみえてきます。
司馬遼太郎の歴史小説『関ヶ原』は、天下分け目の決戦となった関ヶ原の戦いを、戦国諸雄の人間像をうきぼりにしながら、その起因から終結までをえがいた大作であり、『国盗り物語』『新史太閤記』からつづく司馬の「戦国三部作」の最終作です(注1)。今年の秋には劇場映画が公開されることになっています(注2)。



 家康のあたらしい本陣は、思いきった前線に据えられた。関ヶ原村を通り越し、北へゆき、石田陣や島津陣までわずか五、六百メートルという地点であった。(中略)

 一方、三成は家康の進出をよろこび、
「突撃して老賊の首を刎ねん」
 と叫び、士卒をはげました。が、すぐには突撃しかねた。石田陣の陣前には、身動きがとれぬほどに敵の人馬が揉みあい押しあって氾濫している。

 この家康を救うのは、関ヶ原南辺の松尾山上に屯している小早川秀秋一万五千余りの逆流しかない。寝返って西軍の背後に襲いかかる。となれば、寝返りの約束済みの諸将も安堵し、勝利を確信し、どっと西軍にむかって旗を立てるであろう。家康の恃みは、もはやそれしかない。


こうして小早川秀秋が石田三成を裏切ったために家康の勝利が確定しました。関ヶ原の戦いの急所はここにありました。




関ヶ原の戦いについては多くの日本人がすでによく知っているので、ここでは、司馬遼太郎の描写力(表現力)に注目してみたいとおもいます。

歴史小説をよむときのおもしろさのひとつは物語を想像してみる(イメージをえがいてみる)ところにあります。本書はすべて言葉で記述されて図表は一切ありませんので、読者は言葉から想像する、言葉をイメージに変換するしかありませんが、司馬の言葉は実にわかりやすく、イメージがとてもしやすいです。

そこでさらにすすんで、上空から見たらどのように見えるか、想像してみることをおすすめします。登場人物の行動は時系列で地上ですすんでいきますが、上空からの視点で想像すると戦場の全体がわかるはずです。『関ヶ原』は、イメージトレーニングの教材としても最適です。

そもそも司馬遼太郎は、まるで上空からも見ていたかのような、きわめてゆたかな想像力をもっていた作家だったのではないでしょうか。雄大な描写からそうおもえてきます。多様な情報をただ単に統合しただけではありません。

想像力は、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)におけるプロセシングのもっとも重要な能力のひとつです。情報処理能力がたかい人は、上空の視点から想像できるという共通した特徴をもっています。


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 家康は、あす、この小山でひらかれる諸侯会議こそ徳川家盛衰のわかれみちであるとみていた。徳川家だけではない。
 歴史が、変転するであろう。


「歴史が、変転する」

関ヶ原の戦いの前に重大な局面がありました。問題は福島正則でした。その説得は黒田長政がおこないました。その功により、のちに長政は、筑前一国五十二万三千国の大諸侯の位置をあたえられました。

司馬遼太郎は、非常に大きな視野で関ヶ原の戦いへといたる経緯もえがいています。戦場だけをみていても歴史の大きな流れはわかりません。

豊臣秀吉は、織田信長や徳川家康とちがって、豊臣家の藩屏となる血縁者をほとんどもっていませんでした。これが豊臣政権の致命的な弱点でした。秀吉の生存中はよいが・・・

関ヶ原の戦いによって豊臣の世がほろび、徳川の世がきたわけですが、『関ヶ原』の全体をよむと、歴史の潮流は家康側にすでにあったことがイメージできます。


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▼注1:引用文献
司馬遼太郎著『関ヶ原(上)』(新潮文庫)新潮社、1974年6月24日
司馬遼太郎著『関ヶ原(中)』(新潮文庫)新潮社、1974年6月27日
司馬遼太郎著『関ヶ原(下)』(新潮文庫)新潮社、1974年7月02日

▼ 注2
映画「関ヶ原」公式サイト