プロセシングで生じたメッセージは言葉によってアウトプットされます。木にたとえるならば、メッセージは根や幹に、言葉は葉に相当します。
わたしは以前、住民討論会とKJ法によって、ある地域の地域活性化プロジェクトにとりくんだことがありました。そのときに住民の皆さんがだした結論のひとつに「まちづくりは人づくり」ということがありました。
 
これをきいたある大学教授が、「人づくりとは何事だ。人間は粘土ではありません。粘土をこねるように人をいじくりまわすべきでない。粘土細工はやめよう」とのべました。

しかしこれはあきらかに意味のとりちがえでした。住民たちは、まちの活性化のためには何といっても人材が必要であり、まちづくりはそれをになう人がいてこそであるとかんがえたのでした。そのためには人材育成・トレーニング・講習会の開催などが必要だろうということをキャッチフレーズ的に書いたのでした。

ここで、大学教授にもアホがいるといってしまえばそれまでなので、メッセージと言葉についてあらためてかんがえてみたいとおもいます。

そもそも書きだされた言葉とは、その言葉がでてくる以前に、住民たちの心のなかに生じたメッセージを文字という記号であらわしたものです。

ここで樹木の類比(アナロジー)をだしてみましょう。樹木は、根・幹・枝・葉・花からなりたっています。樹木にたとえるならば、メッセージは根や幹に相当します。根は、たとえば思想など、よりふかい根本的なメッセージです。そして幹はメッセージの主軸であり、枝はそこから派生してきたものです。すると言葉は葉になぞらえることができます。したがってその樹木について知ろうとおもったら、葉をみているだけでは不十分であり、地中にある根、幹とそこから派生した枝についても知らなければなりません。

このように樹木をイメージして類比をしてみると、言葉を介して、根や幹の部分を理解することが重要であることがわかってきます。葉だけをみていても本質はわかりません。とくに根の部分については想像しなければなりません。想像力が必要です。言葉ですべてをあらわすことはできません。言葉とはそもそも完璧なものではありません。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)でいうと、メッセージはプロセシングによって内面に生じてくるものです。そしてそれを言葉でアウトプットするという流れになります。メッセージが言葉になるということです。

このように言葉という表面的なものにとらわれないで、言葉の背後にあるメッセージをつかむことが大事です。またアウトプットするときには、メッセージを相手につたえることこそが重要です。樹木をイメージすることは、言葉を読んだり書いたりするこのようなときに役立つとおもいます。

ところで樹木の花はどのような位置づけになるでしょうか。これはシンボルマークあるいはロゴマーク(目印)に相当するものです。マークは、言葉をもっと抽象化したものです。シンボルマークを効果的につかってメッセージをつたえることはよくおこなわれています。花によって植物が識別され認識されることが多いように、メッセージ伝達のためにシンボル(象徴)はしばしば有効にはたらきます。
わたしが小学生だったときの教師のひとりがつぎのように説明しました。「『言葉』は、日本では葉っぱにすぎない。はしくれでしかないんだよ。日本の言葉はレベルのひくいものだ。英語にくらべて日本語はおとっている」。しかし「言葉」という単語(漢字)は、木の葉をイメージさせ、その役割をシンボリックにあらわすすぐれた単語であるといえるでしょう。言葉はまさに葉なのです。その人には、木の全体をイメージする能力がありませんでした。