コウテイペンギンの雛(Emperor penguin chick skin)
(交差法で立体視ができます)
18〜19世紀にかけて、イギリスの探検家たちは世界各地を探検し調査し、標本と情報をあつめました。現地にいって調査をすることは自然や地球を認識するために必要なことです。
国立科学博物館で開催されている「大英自然史博物館」展の第3展示室では、「探検がもたらした至宝」と題して、世界各地でおこなわれた現地調査の様子を紹介しています。写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 - >>
コウテイペンギンの雛は、イギリスのロバート=スコット隊が、1902年、ディスカバリー号の南極探検で採集しました。この標本は、はじめて研究されたコウテイペンギンの雛3羽のうちの1体です。
1901年、イギリスの探検家ロバート=スコットは、ディスカバリー号にのって南極点をめざす自身の第1回目の探検に出発しました。この探検で、南極の生物についての貴重な情報を収集しました。彼らは、南極点にはたどりつけませんでしたが、それ以前の誰よりも南まですすみました。
1910年、ロバート=スコットはふたたび南極におもむき、南極点到達に再挑戦しました。彼らは、貴重な標本やデータを収集しましたが、南極点到達レースではノルウェー隊に1ヵ月ほど先をこされ、スコットと4人の隊員は帰還途中に遭難し、全員が死亡しました。
スコット隊が収集した貴重な標本は、スコットの妻キャスリーンの遺言により大英自然史博物館に保管され、南極の自然史研究に寄与しました。
大英自然史博物館展の第3展示室ではつぎの探検航海の業績も紹介しています。
イギリス海軍士官・ジェームズ=クックひきいるエンデバー号は3回の探検航海をおこないました。1768年、博物学者・ジョゼフ=バンクス(1743-1820)はその第1回目の世界一周の探検航海にくわわり、植物と動物の標本を多数収集しました。
1872〜1876年には、チャレンジャー号による世界一周の探検航海がおこなわれました(注2)。表層から深海底まで、海洋を科学的に調査し、海洋学の知識を向上させ、この航海は「近代海洋学の幕開け」といわれました。生物の新種約4000種を発見、カナリア諸島では最深5720mの海底からの生物の採集に成功しました。また外洋の海底堆積物をしらべ、マンガン団塊を発見、さらに水深180m以深の水温は一定であること、海水塩分の科学的成分比は世界の海洋でほぼ一定であることを実証するなど、多大な成果をあげました。これらは、チャレンジャー号報告書全50巻にまとめられ、地球探査の金字塔をうちたてることになりました。
このような世界探検の航海は、地球に関する認識を飛躍的に向上させ、博物学そして自然科学を発展させることになりました。一方で世界秩序は再編成され、世界はグローバル化していくことになりました。
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▼ 注1大英自然史博物館展(国立科学博物館)
大英自然史博物館展(特設サイト)
公式動画
▼ 注2
チャレンジャー号は、1875年(明治8年)には日本の横浜港に入港し、その後、東京湾・相模湾・瀬戸内海などを調査し、ハワイ諸島へむかいました。
▼ 参考文献
国立科学博物館・読売新聞社編集『大英自然史博物館展 図録』読売新聞社発行、2017年
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コウテイペンギンの雛は、イギリスのロバート=スコット隊が、1902年、ディスカバリー号の南極探検で採集しました。この標本は、はじめて研究されたコウテイペンギンの雛3羽のうちの1体です。
南極産の炭化木化石(Antarctic fossil wood)
(石炭紀/三畳紀、3億2300万〜2億100万年前ごろ)
南極大陸にかつては森林がひろがり、現在よりも気候があたたかかったことをしめす最初期の証拠であり、非常に貴重な標本です。ロバート=スコットの2度目の南極探検(テラ・ノバ遠征)で発見されました。(石炭紀/三畳紀、3億2300万〜2億100万年前ごろ)
南極大陸のカコウ岩(Antarctic granite)
テラ・ノバ遠征の探検隊は、南極大陸の自然史をしらべるために何千個もの地質標本を収集しました。カコウ岩は、南極大陸の地殻を構成する岩石であり、マグマが冷えて結晶化して形成されます。被子植物の葉化石グロッソプテリス(Plant fossil)
(ペルム紀、2億9900万〜2億5200万年前)
この植物は、ペルム紀に南半球にあった超大陸・ゴンドワナ大陸で生育していました。大陸移動説をしめす証拠となる化石です。ゴンドワナ大陸が分裂してその一部が南極大陸になりました。*
1901年、イギリスの探検家ロバート=スコットは、ディスカバリー号にのって南極点をめざす自身の第1回目の探検に出発しました。この探検で、南極の生物についての貴重な情報を収集しました。彼らは、南極点にはたどりつけませんでしたが、それ以前の誰よりも南まですすみました。
1910年、ロバート=スコットはふたたび南極におもむき、南極点到達に再挑戦しました。彼らは、貴重な標本やデータを収集しましたが、南極点到達レースではノルウェー隊に1ヵ月ほど先をこされ、スコットと4人の隊員は帰還途中に遭難し、全員が死亡しました。
スコット隊が収集した貴重な標本は、スコットの妻キャスリーンの遺言により大英自然史博物館に保管され、南極の自然史研究に寄与しました。
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大英自然史博物館展の第3展示室ではつぎの探検航海の業績も紹介しています。
イギリス海軍士官・ジェームズ=クックひきいるエンデバー号は3回の探検航海をおこないました。1768年、博物学者・ジョゼフ=バンクス(1743-1820)はその第1回目の世界一周の探検航海にくわわり、植物と動物の標本を多数収集しました。
1872〜1876年には、チャレンジャー号による世界一周の探検航海がおこなわれました(注2)。表層から深海底まで、海洋を科学的に調査し、海洋学の知識を向上させ、この航海は「近代海洋学の幕開け」といわれました。生物の新種約4000種を発見、カナリア諸島では最深5720mの海底からの生物の採集に成功しました。また外洋の海底堆積物をしらべ、マンガン団塊を発見、さらに水深180m以深の水温は一定であること、海水塩分の科学的成分比は世界の海洋でほぼ一定であることを実証するなど、多大な成果をあげました。これらは、チャレンジャー号報告書全50巻にまとめられ、地球探査の金字塔をうちたてることになりました。
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このような世界探検の航海は、地球に関する認識を飛躍的に向上させ、博物学そして自然科学を発展させることになりました。一方で世界秩序は再編成され、世界はグローバル化していくことになりました。
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▼ 注1
大英自然史博物館展(特設サイト)
公式動画
▼ 注2
チャレンジャー号は、1875年(明治8年)には日本の横浜港に入港し、その後、東京湾・相模湾・瀬戸内海などを調査し、ハワイ諸島へむかいました。
▼ 参考文献
国立科学博物館・読売新聞社編集『大英自然史博物館展 図録』読売新聞社発行、2017年