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国指定重要文化財 深鉢形土器(火炎土器)
新潟県長岡市 馬高遺跡、縄文時代中期(約5千年前)
(交差法で立体視ができます)
 
縄文人は物に執着していなかったようです。縄文土器から、広域文化圏の形成や縄文人の精神性をよみとることができます。

國學院大學博物館・特別展「火焔型土器のデザインと機能」に関連して、新潟県立歴史博物館の宮尾亨さんによるミュージアムトークがおこなわれました。テーマは「火焔型土器の作り方」でした(注1)。

これまでの発掘・調査・研究・実験により火焔型土器の作り方があきらかになりました。要約するとつぎのようになります。
 

  • 粘土をほりだす(粘土をほりだした跡がたくさん見つかっている)。
  • 粘土で紐をつくり、その粘土紐をつみあげて容器を成形する。
  • C字状の粘土紐をたくさん用意する。
  • C字状の粘土紐をつかって、成形した土器の表面にそれらを貼りつけながら独特の文様を仕上げていく。
  • 火焔型土器の造形は、C字状の粘土紐のくみあわせだけでおこなえる。
  • 胴部への貼りつけがおわったら、口頸部へ貼りつける。
  • 口縁への仕上げで、火焔型土器をもっとも特徴づける鶏頭冠突起や鋸歯状口縁をつくる。


このように、火炎型土器の作り方にはひとつのパターンが確立していました。

火焔型土器は、信濃川下流域(現在の新潟県)全域で発掘されています。おそらく、最初の火焔型土器は、縄文人の誰かによってあるいはどこかの村でつくられたのだとおもいます。しかし作り方のパターンが確立したのを機に、周辺地域に一気にそれがひろがっていったのでしょう。

ここに、文化の伝播と文化圏の形成のひとつの事例をみることができます。

火焔型土器は飾りや観賞用とおもわれがちですが、実際には実用品であり、ほとんどすべての火焔型土器に煮炊きをしたときのお焦げが付着しています。

このお焦げの研究から、火焔型土器を特徴づけている鶏頭冠突起や鋸歯状口縁がこわれたり、はずれてしまったあとも、その土器を煮炊きにつかっていたことがわかっています。つかっていればこわれるのは当然です。

火焔型土器をみれば、つくるのにかなりの労力がかかっていることはあきらかです。しかしこわさないためにつかわないでおくというのではなく、どんどんつかってしまう。こわれてもいい。できあがってしまえばそれまでのことにはとらわれない。物には執着しないという精神が縄文人にはどうもあったようです。

火焔型土器をつくる過程それ自体をたのしんでいた。プロセスそのものに意義があった。その時その場を生きていたのではないか。火焔型土器をみていると想像がふくらんできます。

これは、すぐれた物をつくるという目的を設定して、そのための手段を実施する。目的を達成するためにとにかく頑張る。効率をあげればよいとおもっている現代文明人の精神とはことなります。


 

縄文土器をみることは、共通の自然環境を基盤にして文化圏が形成されたことや、縄文人の精神性についてかんがえるところにまで発展します。わたしたち日本人の祖先である縄文人からわたしたちがまなべることはたくさんあるにちがいありません。




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ミュージアムトークの会場



シンボルだけでなく文化圏もとらえる - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(2)-
物に執着しない - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(3)-

自然の素材に忠実になって「本然」にいたる 〜千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』〜
すべてを受け容れ、主体性を確立する - 玄侑宗久著『NHK 100 de 名著:荘子』-

シンボル化して、過去に執着しない
本当の人生は片づけた後にはじまる - 近藤麻理恵著『人生がときめく片づけの魔法』-
生きていることが修業である - 道元『正法眼蔵』(100分 de 名著)-

▼ 注1
ミュージアムトーク「火炎型土器の作り方」
2017年2月4日、國學院大學博物館

特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」
会期:平成28年12月10日~平成29年2月5日 
会場:國學院大學博物館