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深鉢型土器(火炎型土器)(新潟県指定有形文化財)
新潟県津南町沖ノ原遺跡、縄文時代中期(約5千年前)
(平行法で立体視ができます)
縄文時代の信濃川下流域には共通文化圏がひろがっていました。そのシンボルが火炎型土器でした。シンボルだけでなく文化圏にも心をくばることが大事です。

國學院大學博物館の特別展「火炎型土器のデザインと機能」の会場でミュージアムトークが開催されました。講師は、長岡市立科学博物館・馬高縄文館 学芸員の小熊博史さんでした(注1)。会場には、約300人の参加者があふれかえり、火炎型土器の人気の高さがうかがえました。

今回の特別展のテーマである火炎型土器は、新潟県内の信濃川流域全域から出土しています(図1)。

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図1 火炎型土器の出土している主な遺跡
(特別展の展示解説から引用) 

現在、新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町が信濃川火焔街道連携協議会を結成し、火炎型土器や縄文文化の魅力を発信しているそうです。今回のトークで、流域各地の発掘や活動のくわしい紹介がありました。

すなわち縄文時代の信濃川下流域の人々は、共通した自然環境のもとで共通した精神性をもっていたのであり、ここには、「信濃川下流域文化圏」ともいうべきひとつの共通文化圏が存在したとかんがえられます。そのシンボルが火炎型土器であったとかんがえるととてもわかりやすいです。
 
したがって火焔型土器を、観察や鑑賞の対象としてとらえるだけでは不十分です。火炎型土器をきっかけにして、そこにひろがっていた広域文化圏を想像することが重要です。文化圏全体に心をくばる必要があるでしょう。それがまた火炎型土器の理解をふかめることになります。

  • 火炎型土器:シンボル
  • 流域文化圏:全体構造(体系)

現在、信濃川火焔街道連携協議会が活発です。また流域各地の博物館の縄文展示が充実しています(注2)。火炎型土器をきっかけにして、信濃川下流域文化圏が現代において再生してきたとみることができます。これは、歴史的にみてしっくりくる文化圏であり、もともとあったポテンシャルが顕在化してきたとのだとかんがえられます。

既存の行政の枠組みをこえたとりくみであり、大いに注目すべきです。


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▼ 注1
ミュージアムトーク「越後長岡・火炎型土器の話 〜最近の話題から〜」
2017年1月28日、國學院大學博物館

特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」
会期:平成28年12月10日~平成29年2月5日 
会場:國學院大學博物館

▼ 注2:縄文土器がみられる新潟県内の博物館
新潟県立歴史博物館
下田郷資料館
長岡市立科学博物館
馬高縄文館
十日町市博物館
津南町歴史民俗資料館