仮説をたてたり何かをかんがえるときにには前提が必要です。あらためて前提を確認することが大事です。

本ブログで一昨日、仮説のたて方とその検証のしかたに関する記事を書きました。
仮説をたて検証する - 仮説法(発想法)と演繹法の活用 - >>

仮説をたてるときにも仮説を検証するときにも前提が必要です。前提は、前提となる仮定といってもよいです。どのような前提を採用するかによって、おなじ事実を目の前にしても仮説はことなってきます。

たとえばつぎのような例があります。前提Aを採用するか、あるいは前提Bにたつかによって、おなじ事実を前にしても仮説はかなりちがってきます。

前提A:人間は、基本的に利己的な存在である。
前提B:人間は、基本的に利他的な存在である。

あるいは、

前提C:社会は、基本的に競争原理にもとづいてなりたっている。
前提D:社会は、基本的に共存原理にもとづいてなりたっている。




前提についてはあまり意識しないで生活している人が多いかもしれませんが、実際には、暗黙のうちに前提を設定していたり、何らかの思い込みが無意識のうちに前提になっていることが多いです。

仮説をたてるとき、あるいは何かをかんがえるときには前提についてあらためて確認する必要があります。




わたしは、問題解決の3段階モデルを提唱しています。たとえば〈1.大局→2.調査→3.判断〉のようにすすみます。
課題を書きだし、事実を書きだし、目標を書きだす >>

このモデルにおいて、仮説をたてるのは第3段階目の判断のところになります。このときに、第1段階目の大観をしっかりおこなったかどうかがきいてきます。つまり大観をするとおのずと前提がはっきりして、仮説をたてるときにそれがつかえるということです。

大観をしないでこまかい部分だけをつっついていると、前提があやふやな状態でかんがえるために誤認がおこります。大観をして、前提をしっかりおさえることが重要でしょう(注)。


▼ 注
究極的には、その人の人生観や世界観あるいは自然観や宇宙観が、仮説発想にかぎらず情報処理と問題解決の全般に前提として作用します。