写真1 第3展示室「新しい生命観 - 宇宙人はいるのか?」
パトリシア=ピッチニーニ《ザ・ルーキー》2015年
(平行法で立体視ができます)
「宇宙と芸術」展は宇宙をイメージするよい機会です。時間・空間・暦・フラクタルをキーにしてイメージするとおもしろいです。
東京・六本木の森美術館で「宇宙と芸術」展が開催されています(注1)。ジャンルをこえた古今東西の多様な出展物約200点を通して、未来にむかうあらたな宇宙観・人間観を提示するという企画です。
つぎの4つの展示室からなります。
会場の一部では写真撮影が許可されていました。写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 - >>
第1展示室「人は宇宙をどう見てきたか?」では、「両界曼荼羅」(りょうかいまんだら)が展示されていました(写真撮影は残念ながら許可されていませんでした)。
両界曼荼羅について、金剛界曼荼羅は宇宙の時間的側面を、胎蔵界曼荼羅は宇宙の空間的側面をそれぞれあらわしているとわたしは感じとりました。
そもそも宇宙の「宇」には「空間的な広がり」という意味があり、一方の「宙」には「時間的な広がり」という意味があるといわれています。つまり「宇宙」は空間と時間をあらわしています(注2)。
したがって金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の両者がそろって宇宙があらわせるということになります。
宇宙の時間的側面をあらわす重要な仕組みとしては暦もあります。文明の発生とともに人間は暦を生みだし、文明の発展とともに暦も発達させました。暦なくして今日の文明はなりたちません。
写真2は光と影で時をあらわす作品です。人間は日時計を古来つかってきました。光と影で時間を認識してきたのです。
また宇宙の構造の本質はフラクタルであるとかんがえた人々がいました。フラクタルとは、部分と全体とが自己相似になっている形のことであり、全体の一部分を拡大すると、おなじようなくりかえしがあらわれる自己相似性をもつパターンのことです。曼荼羅はあきらかにフラクタルになっています。樹形も、フラクタルの典型例としてよくとりあげられます。写真3・4・5の作品にもフラクタルがあらわれています。
以上のように、時間・空間・暦・フラクタルを本展では感じとることができます。これらをキーにして宇宙をとらえなおしてみるとおもしろいとおもいます。
このように見てくると、全体があればかならず部分があり、部分があればかならず全体があり、全体と部分は同時にしか存在しえず、全体と部分は両者を同時に認識するしかないということもわかってきます。部分だけをとりだしてわかったとおもうのは錯覚です(注3)。
このようなことを言葉(理屈)ではなくてイメージでしめすのが芸術(美術)のおもしろくすごいところです。イメージとは人間の心のなかにえがかれた形であり、心象といってもよいでしょう。芸術は心象法の究極です。
今回の展覧会は、宇宙科学の最新成果を理解するというのではなくて、人間の心のなかに生じた宇宙のイメージ、心象を紹介するものです。つまり心のなかの宇宙ということです。会場に行ったらイメージを自由にえがき、想像をふくらませて自分なりの宇宙観をえがいてみるとよいでしょう。
▼ 注1
宇宙と芸術展
会期:2016年7月30日〜2017年1月9日
会場:森美術館
▼ 注2:「宇宙」は空間と時間をあらわす。
宇宙を大観する - 『大宇宙』(ニュートン別冊)-
▼ 注3
たとえば分析だけをやっていると錯覚におちいります。大観と総合の方法も必要だということです。
▼ 参考文献
『宇宙と芸術展』(カタログ)森美術館発行、2016年7月28日
つぎの4つの展示室からなります。
- 人は宇宙をどう見てきたか?
- 宇宙という時空間
- 新しい生命観―宇宙人はいるのか?
- 宇宙旅行と人間の未来
会場の一部では写真撮影が許可されていました。写真はいずれも平行法で立体視ができます。
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写真2 コンラッド=ショウクロス《タイムピース》2013年
写真3 ビョーン=ダーレム《ブラックホール(M-領域)》2008年
写真4 ビョーン=ダーレム《プラネタリー・ツリー(スグリ)》2010年
写真5 森万理子《エキピロティック ストリング II》
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第1展示室「人は宇宙をどう見てきたか?」では、「両界曼荼羅」(りょうかいまんだら)が展示されていました(写真撮影は残念ながら許可されていませんでした)。
両界曼荼羅とは、7世紀頃のインドで個別に成立した『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)と『大日経』(だいにちきょう)とにもとづくふたつの曼荼羅をさします。
『金剛頂経』では、宇宙そのものを体現する大日如来が五仏などをふくむ金剛界三十七尊をうみだす「金剛界曼荼羅」が説かれます。9つの独立した曼荼羅の集合体であり、のべ1400余尊が登場し、同一の尊像が姿・形をかえてくりかえしあらわれます。
一方の『大日経』は、中央の蓮華を中心に三重からなる十三院へ遠心的に展開する「胎蔵(界)曼荼羅」(たいぞうかいまんだら)を説き、中心には大日如来と四仏・四菩薩が配されます。別個の400余尊が登場し、それぞれが所属(院)と役割をもちます。
両界曼荼羅について、金剛界曼荼羅は宇宙の時間的側面を、胎蔵界曼荼羅は宇宙の空間的側面をそれぞれあらわしているとわたしは感じとりました。
- 金剛界曼荼羅:時間
- 胎蔵界曼荼羅:空間
そもそも宇宙の「宇」には「空間的な広がり」という意味があり、一方の「宙」には「時間的な広がり」という意味があるといわれています。つまり「宇宙」は空間と時間をあらわしています(注2)。
したがって金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の両者がそろって宇宙があらわせるということになります。
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宇宙の時間的側面をあらわす重要な仕組みとしては暦もあります。文明の発生とともに人間は暦を生みだし、文明の発展とともに暦も発達させました。暦なくして今日の文明はなりたちません。
写真2は光と影で時をあらわす作品です。人間は日時計を古来つかってきました。光と影で時間を認識してきたのです。
また宇宙の構造の本質はフラクタルであるとかんがえた人々がいました。フラクタルとは、部分と全体とが自己相似になっている形のことであり、全体の一部分を拡大すると、おなじようなくりかえしがあらわれる自己相似性をもつパターンのことです。曼荼羅はあきらかにフラクタルになっています。樹形も、フラクタルの典型例としてよくとりあげられます。写真3・4・5の作品にもフラクタルがあらわれています。
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以上のように、時間・空間・暦・フラクタルを本展では感じとることができます。これらをキーにして宇宙をとらえなおしてみるとおもしろいとおもいます。
- 時間
- 空間
- 暦
- フラクタル
このように見てくると、全体があればかならず部分があり、部分があればかならず全体があり、全体と部分は同時にしか存在しえず、全体と部分は両者を同時に認識するしかないということもわかってきます。部分だけをとりだしてわかったとおもうのは錯覚です(注3)。
このようなことを言葉(理屈)ではなくてイメージでしめすのが芸術(美術)のおもしろくすごいところです。イメージとは人間の心のなかにえがかれた形であり、心象といってもよいでしょう。芸術は心象法の究極です。
今回の展覧会は、宇宙科学の最新成果を理解するというのではなくて、人間の心のなかに生じた宇宙のイメージ、心象を紹介するものです。つまり心のなかの宇宙ということです。会場に行ったらイメージを自由にえがき、想像をふくらませて自分なりの宇宙観をえがいてみるとよいでしょう。
▼ 注1
宇宙と芸術展
会期:2016年7月30日〜2017年1月9日
会場:森美術館
▼ 注2:「宇宙」は空間と時間をあらわす。
宇宙を大観する - 『大宇宙』(ニュートン別冊)-
▼ 注3
たとえば分析だけをやっていると錯覚におちいります。大観と総合の方法も必要だということです。
▼ 参考文献
『宇宙と芸術展』(カタログ)森美術館発行、2016年7月28日