企画展「シーボルト」(入口)(平行法で立体視ができます)
シーボルトは、日本の博物学と自然史研究の生みの親でした。日本の自然は多様性がとても大きいことを知ることが重要です。
東京・上野の国立科学博物館で、企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」が開催されています。今年(2016年)は、シーボルトの没後150年にあたります。これを記念して、シーボルトが収集した自然史の標本(シーボルト標本)によって学名があたえられた生物などを展示することで、日本の自然を世界に紹介したシーボルトの貢献をふりかえるという企画です。
シーボルトといえば何といっても「植物学者としてのシーボルト」です。シーボルトは植物への関心がとくにつよく、1万点以上の押し葉標本を収集し、川原慶賀による植物画なども精力的にあつめました。収集した標本の大半はオランダのライデンに、一部は、ドイツのミュンヘンなどに現在保管されています。
シーボルトがヨーロッパに日本から導入した植物のなかでもっとも注目をあつめたのはユリ属の植物でした。とくにカノコユリは、ルビーやガーネットが花弁についていると形容され、球根は、おなじ重さの銀ととりひきされるなど、ヨーロッパ園芸界にセンセーションをひきおこしました。
シーボルトは単にコレクターとしてだけでなく、研究者として日本植物の分類に貢献しました。研究を通してシラネアオイやキブシなどの固有種の存在をあきらかにしました。ドイツの植物学者ツッカリーニと共同で大著『フロラ・ヤポニカ』などの著作をあらわしました。
日本には、約7500種の陸上植物が生育します。これは日本とほぼおなじ面積のドイツに生育している植物が約2600種であることをかんがえると驚異的です。さらに日本には、日本だけに分布が限定されている固有種が多いです。日本にきたシーボルトは、ヨーロッパではみたこともない植物に数多く接してびっくりしたことでしょう。
日本の植物の多様性が大きい要因としてはつぎのようなことがかんがえられます。
日本の自然の多様性を知ることはとても大事なことです。
シーボルトは1796年に、ドイツのヴュルツブルクで生まれました。そして1823年に、オランダ商館の医師として来日しました。鎖国のために外国からは未知の国だった日本の自然を世界に紹介しようとおもい、膨大な資料を収集し研究しました。
1828年、5年の任期がおわり帰国しようとした際に、当時国禁であった日本地図や葵紋付き衣服などをもちだそうとして発覚、出国停止処分をうけたのち国外追放処分となりました。日本の門人らも多数処罰されました。いわゆる「シーボルト事件」です。
その後1858年、シーボルトは、日蘭修好通商条約の締結により追放が解除となり、翌1859年、長男アレクサンダーをともなって再来日し、幕府の外交顧問となりました。
シーボルトは、植物以外にも動物・昆虫・地理・地質・鉱物・気象などの調査・研究もおこないました。つまり彼は博物学者であったのであり、日本の博物学や自然史研究の生みの親といってよいでしょう。日本はその後、博物学のうえにたって、生物学や地質学などの近代科学を発展させていくことになります。
▼ 注1
企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」
会場:国立科学博物館
会期:2016年9月13日〜12月4日
第3展示「植物学者としてのシーボルト」
(平行法で立体視ができます)
(平行法で立体視ができます)
シーボルトといえば何といっても「植物学者としてのシーボルト」です。シーボルトは植物への関心がとくにつよく、1万点以上の押し葉標本を収集し、川原慶賀による植物画なども精力的にあつめました。収集した標本の大半はオランダのライデンに、一部は、ドイツのミュンヘンなどに現在保管されています。
ユリの展示(平行法で立体視ができます)
シーボルトがヨーロッパに日本から導入した植物のなかでもっとも注目をあつめたのはユリ属の植物でした。とくにカノコユリは、ルビーやガーネットが花弁についていると形容され、球根は、おなじ重さの銀ととりひきされるなど、ヨーロッパ園芸界にセンセーションをひきおこしました。
シーボルトは単にコレクターとしてだけでなく、研究者として日本植物の分類に貢献しました。研究を通してシラネアオイやキブシなどの固有種の存在をあきらかにしました。ドイツの植物学者ツッカリーニと共同で大著『フロラ・ヤポニカ』などの著作をあらわしました。
日本には、約7500種の陸上植物が生育します。これは日本とほぼおなじ面積のドイツに生育している植物が約2600種であることをかんがえると驚異的です。さらに日本には、日本だけに分布が限定されている固有種が多いです。日本にきたシーボルトは、ヨーロッパではみたこともない植物に数多く接してびっくりしたことでしょう。
日本の植物の多様性が大きい要因としてはつぎのようなことがかんがえられます。
- 国土が南北にながく、気候が、亜熱帯から冷温帯にまでまたがる。
- 地形・地質が複雑で、植物にとって多様な環境が存在する。
- 氷河期に、レフュージア(避難地)とよばれる温暖な地域で絶滅をまぬがれた種や、島のように海にかこまれた隔離環境で独自の進化をとげた種も相当数ある。
日本の自然の多様性を知ることはとても大事なことです。
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シーボルトは1796年に、ドイツのヴュルツブルクで生まれました。そして1823年に、オランダ商館の医師として来日しました。鎖国のために外国からは未知の国だった日本の自然を世界に紹介しようとおもい、膨大な資料を収集し研究しました。
1828年、5年の任期がおわり帰国しようとした際に、当時国禁であった日本地図や葵紋付き衣服などをもちだそうとして発覚、出国停止処分をうけたのち国外追放処分となりました。日本の門人らも多数処罰されました。いわゆる「シーボルト事件」です。
その後1858年、シーボルトは、日蘭修好通商条約の締結により追放が解除となり、翌1859年、長男アレクサンダーをともなって再来日し、幕府の外交顧問となりました。
シーボルトは、植物以外にも動物・昆虫・地理・地質・鉱物・気象などの調査・研究もおこないました。つまり彼は博物学者であったのであり、日本の博物学や自然史研究の生みの親といってよいでしょう。日本はその後、博物学のうえにたって、生物学や地質学などの近代科学を発展させていくことになります。
▼ 注1
企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」
会場:国立科学博物館
会期:2016年9月13日〜12月4日