原発問題をかんがえるとき、被災をした福島の人々の声(メッセージ)をきくことはとても重要なことです。


たくきよしみつ著『3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波書店)は、福島県川内村で被災した著者が被曝の恐ろしさやこれからの困難についてかたっています。


目 次
第1章 あの日、何がおきたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能よりも怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる


著者のたくきよしみつさんは、2011年3月11日、福島県川内村の自宅で大震災をむかえました。そこは福島第一原発からは約25kmのところでした。


いよいよ避難しなければならないと思っていると、突然、テレビに衝撃的な映像が映し出されました。
福島第一原発一号機が爆発するという映像です。
背筋が凍るというのは、こういうことを言うのでしょう。


その後、第一原発から半径30km圏は立入禁止区域になったため救助も救援物資もきませんでした。津波で生き埋めになったり動けなくなった人たちは救助されないまま見殺しにされました。住民は見捨てられたのです。

15日早朝になると、2号機の格納容器が破損して、大量の放射性物質がもれだしました。ほぼ同時に4号機でも爆発・火災がおきました。

この時期にいちばん危険だったのはヨウ素という放射性物質でした。これを体内にいれてしまうと甲状腺にたまり、何年かすると甲状腺癌をひきおこす原因になることが知られています。放射性物質を体内にとりこんでしまい、体の内部で被曝しつづけることを「内部被曝」といいます。「外部被曝」とはちがう恐ろしさがあります。

たくきよしみつさんは、一旦、神奈川県川崎市に避難します。しかし3月26日、必要なものをとりに、また救援物資を届けるために川内村へ帰宅しました。




福島県からはなれてくらしている人にとってはこのような状況はなかなか理解しにくいかもしれません。そのようなときは出来事を自分の地域におきかえて想像してみるのがひとつの方法です。


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たとえばもし、東京湾に面した埋め立て地に原発があったとしたらどうなったでしょうか。都内23区はすっぽり 20km 圏内に入ります。30km 圏内でしたら、木更津市・千葉市・柏市・さいたま市・所沢市・相模原市をむすんだ円内になります。20km あるいは 30km 圏内はかなり広いことがわかります。



▼ 引用文献
たくきよしみつ著『3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)岩波書店、2012年4月20日
3.11後を生きるきみたちへ-福島からのメッセージ (岩波ジュニア新書)

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