コンピューターの進歩がいちじるしいですが、情報処理はあくまでも人間が主体になってすすめ、コンピューターは道具としてつかっていくのがよいです。


人工知能が、囲碁のプロ棋士に勝利したというニュースが世界をかけめぐりました。


米グーグル傘下の人工知能(AI)開発ベンチャー「ディープマインド」(英国)は、開発した囲碁のコンピューターソフト「アルファ碁」がプロ棋士を相手に勝利を収めたと、英科学誌ネイチャーに27日発表した。プロが公式戦で使うフルサイズの19路盤でハンディなしで勝ったのは世界初としている。

囲碁はその複雑さから、チェスや将棋よりも格段にソフト開発が難しいとされるが、AIの新技術で判断力を大幅に高めた。

対戦相手は2013~15年の欧州チャンピオンで中国出身のファン・フイ氏。アルファ碁は15年10月に5戦し全勝した。(ロイター、2016年 01月 28日、注1)


人工知能といっても要するに高性能なコンピューターのことです。高性能なコンピューターは、チェスや将棋ではプロ棋士にすでに勝利しています。コンピューターの進歩はまさに日進月歩です。




しかしわたしにいわせれば、本当の勝利者は、コンピューターではなくてソフトを開発したプログラマーだったのだとおもいます。プログラマーあるいはコンピューター技術者がコンピューターをつかって、コンピューターをつかわないプロ棋士に勝利したというのが事実でしょう。

このような意味では、コンピューターをつかって大きな成果をつぎつぎにあげている科学者や技術者は現代ではたくさんいます。それらの成果は、科学者・技術者の成果なのか? コンピューターの成果なのか? 一般には、科学者・技術者の成果とみなされます。
 
情報処理をすすめた主体はあくまでも科学者・技術者つまり人間であったのでありコンピューターではありません。コンピューターは道具としてつかっただけで、科学者・技術者ご自身の高度な情報処理能力が成果をあげたのです。




コンピューターは今後とも大きく進歩していくでしょうが、「人工知能」というわかりにくく誤解をまねく表現はやめたほうがよいでしょう。コンピューターといえばすむことです。

そして情報処理は、人間が主体になってすすめていくのあって、コンピューターが中心になってすすめるのではありません。

自然科学的に見ても、人間は情報処理をする存在であるというのがわたしの基本仮説です。コンピューターはよくできた道具として人間がつかっていけばよいのです。情報処理の主体はあくまでも人間であってコンピューターではありません。人間主体の情報処理ということです。
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