これからのあたらしい時代は人工知能にできることは人工知能にやらせ、自分らしいアウトプットをするなど、人間にしかできなことは人間がやることになります。

 
注目のハイテク35』(ニュートン別冊)の最終項では「人工知能」(注1)について解説しています(注2)。

2002年、将棋ソフト「ボンクラーズ」が、かつてトップ棋士だった米長邦雄永世棋聖と対決し勝利しました。さらに2013年には、将棋ソフト5種が現役のプロ棋士と対戦し、3勝1敗1引き分けとしました。将棋の世界では人工知能が人間をおいぬいたようです。

一方で2012年からは、国立情報学研究所の主催で「人工知能プロジェクト 〜ロボットは東大に入れるか〜」がはじまり、人工知能が東大入試にチャレンジしています。こちらは東大にまだ入学できていませんが人工知能は急速に進歩しています。東大入試突破はもはや時間の問題ではないでしょうか。




このように人工知能の進歩には目をみはるものがあります。するともやは、情報処理は人工知能がおこなえばよいということになるのでしょうか。

そんなことはありません。人工知能ができることは人工知能にやらせて、人間は、人間にしかできない情報処理をやるのです。たとえば自分らしいアウトプットをするということは人間にしかできません。ホームページやブログをみずから設計してつくって書きだしをしてみるなど。そして結果をもとめるだけでなくプロセスをたのしみ心ゆたかに生きる。心とは情報処理の場のことです。意識といってもよいです。

このような個性あふれるアウトプットは入試とか勝負とかとはちがう世界です。 




上記の将棋と入試を例にすると、勝負に勝つとか入試を突破するとかいうことは人工知能でもできますが、自分らしいアウトプットをする、個性的な表現や作品を生みだすといったことは人間にしかできません。

入試を突破したり勝負に勝ったりすることは目的では決してありません。これまでの生徒は入試を突破したり勝つことが目的であり、突破しおわるとホッとしてしまうという生き方をしている人が多かったです。しかし将来的には、人間にとって勝負と入試の重要度は極度にさがります。入試などは単なる通過点にすぎなくなります。そうではなくて高等の学校に入ってから本当は自分は何をまなびたいのか、どの分野に本当はチャレンジしたかったのかの方が重要です。


▼ 注1
人工知能といわれると何か特別な知能というような感じがしますが実際には高性能なコンピューターです。

▼ 注2
「進化を続ける人工知能」、『注目のハイテク35』(ニュートン別冊)ニュートンプレス、2014年11月15日、150-155ページ