
新国立劇場 オペラパレス
シェイクスピアの喜劇も悲劇も「自分が見えていない」をキーワードにして見るとおもしろいです。
だましたつもりがだまされた! こりない老騎士と陽気な女房たちがくりひろげた痛快喜劇。新国立劇場で、ヴェルディ作曲《ファルスタッフ》を見ました(注1)。イタリアの大作曲ヴェルディが最晩年に、シェイクスピア原作『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ヘンリー四世』を極上のオペラに仕上げました。
ヴェルディ作曲《ファルスタッフ》
指揮:イヴ=アベル演出:ジョナサン=ミラーファルスタッフ:タッフゲオルグ=ガグニーゼ管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
主人公のファルスタッフはまったく自分が見えていません。はたから見ていると「バカだなぁ」とわらってしまいます。
*

彩の国さいたま芸術劇場
わたしは先日、彩の国さいたま芸術劇場で、シェイクスピアが書いた最古の喜劇《ヴェローナの二紳士》を見ました(注2)。
彩の国シェイクスピア・シリーズ第31弾《ヴェローナの二紳士》演出:蜷川幸雄ジュリア:溝端淳平プローティアス:三浦涼介ヴァレンタイン:高橋光臣シルヴィア:月川悠貴
これもおなじです。自分が見えていないんです。なんだかバカばっかり。そんな話あるかよ。おもわずわらってしまいます。人間とは滑稽な存在です。
*
ところでシェイクスピアの悲劇はどうでしょうか。
わたしは先日、METライブビューイング(2015-16)でシェイクスピア原作・ヴェルディ作曲《オテロ》(新演出)を見ました(注3)。
MET(メトロポリタン・オペラ)ライブビューイング:ヴェルディ作曲《オテロ》指揮:ヤニック=ネゼ=セガン演出:バートレット=シャーオテロ:アレクサンドルス=アントネンコデズデーモナ:ソニア=ヨンチェーヴァイアーゴ:ジェリコ=ルチッチ
オテロも自分が見えていないのです。自分の心の中だけで情報が堂々巡りをしていて自滅していく。悲しい物語ではありますが、「バカだなぁ」。
*
こうして劇がすすむにつれて滑稽を通りこして、人間の愚かさが浮き彫りになってきます。
自分が見えていない。人間の滑稽さと愚かしさ。
はたから見ることができると「自分が見えていない。バカだなぁ」となりますが、当のご本人は真剣そのもの、自分で自分を見ることはできないのです。
シェイクスピアの喜劇も悲劇も「自分が見えていない」を一つのキーワードにして見直してみるとおもしろいとおもいます。
オペラ《ファルスタッフ》のしめくくりは、ファルスタッフからはじまるフーガ「人生はみな冗談、人間はみな道化(アホ)」が、ソロと混声合唱に次々とうけつがれてわきたつような大フーガになり、最後にはすべてをわらいとばしてしまいました。
バカだなぁ。でもおもしろいではないか。
▼ 注1
新国立劇場《ファルスタッフ》
▼ 注2
彩の国さいたま芸術劇場《ヴェローナの二紳士》
▼ 注3
METライブビューイング 2015-16
▼ 関連記事
悪魔の歌声が大きな波動になる - ヴェルディ作曲『オテロ』(METライブビューイング)-
音楽と演劇の統合 -オペラになったシェイクスピア『ファルスタッフ』-
情報は要約してアウトプットする 〜 河合祥一郎著『あらすじで読むシェイクスピア全作品』〜
シェイクスピアの四大悲劇のひとつをオペラ化した - トマ作曲『ハムレット』(METライブビューイング)-
あらすじを予習してから鑑賞する - オペラになったシェイクスピア《テンペスト》-
感情が意識をゆさぶる グノー作曲『ロメオとジュリエット』-
音楽と演技が融合して一本のストーリーになる - ヴェルディ作曲『マクベス』-
絵の前後を想像する -「見つめて、シェイクスピア!」展 -
「自分が見えていない」をキーワードにして - シェイクスピア -
自分のアウトプットを見直して、自分で自分を見る