アウトプットをしようとおもってインプットすると、インプットがよくできるだけでなくプロセシングもすすみます。

NHKの美術番組を見ていたら、美術館で絵を見るときの一つの見方として、「どの作品を買おうかとおもいなが見ると見方がとてもふかまる」という方法を提案していました。たとえば「自分のオフィスに書斎に寝室にどの絵をかざろうか」とかんがえながら作品を見ていくのです。もちろん、本物は買えないのでポスターや絵葉書や模写を買うことになるのですが。

人間行為を〈インプット→プロセシング→アウトプット〉ととらえた場合、美術館で絵を見ることはインプットにあたります。どの作品を買うか心のなかで判断することはプロセシングです。すると買うという行動はアウトプットとしてとらえることができます。

アウトプットをしようとおもってインプットをするとインプットがよくできるだけでなく、プロセシングもすすむというわけです。

151213 アウトプットをしようとおもって
図 アウトプットをしようとおもってインプットする

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たとえばどの分野でも昔からよくいわれることに、「他人におしえてみると自分自身の理解がすすむ」ということがあります。「おしえる」というアウプットを想定しながらが勉強(インプット)するとプロセシングがいちじるしくすすみます。

わたしは、インド料理がすきで自分でつくったりもするのでインド料理のレシピ本を先日みていました。このときも、何をつくろうかとおもいながら見ていたので本の内容がとてもよく理解でき記憶にものこりました。しかしほぼ同時に読んだフランス料理の本は興味はあったのですがほとんど記憶にのこりませんでした。なぜならフランス料理はつくろうとはおもっていないからです。

あるいはブログやツイッターやフェイスブックなどにどんな記事を書こうかとおもって情報をインプットしていると、インプットとプロセシングが通常よりもはるかによくすすみます。わたしはこれをつねに実践しています。

あるいはブログやツイッターやフェイスブックなどにどんな写真をアップしようかとかんがえながら撮影をしているとよい写真が撮れるようになります。これなども多くの人々が経験していることです。

以上から、何かを生み出そうアウトプットをしようという意識をはじめからもって見たり聞いたり読んだりすると情報処理は一層すすむということがわかります。