想定や行政や教師や教授がどうのこうのということではなくて、東日本大震災の教訓をいかして自分の命は自分でまもる道を選択しなければなりません。
『釜石の奇跡』(イースト・プレス)には「小学校の防災対策が地域に呼んだ波紋」(215ページ)という事例も掲載されています。
伊勢湾に面する三重県明和町では、南海トラフ巨大地震がおきた場合、理論上、最大 6.92 メートルの津波がおしよせると想定された。町が示した避難場所を目指すのではなく、「学校の屋上にあがる」という、独自の津波避難の方針を決めた大淀小学校。13.5 メートルほどの高さがある。津波の後、孤立する可能性はあるが、その対応は可能なため、いのちを守ることはできるという判断だった。
この明和町立大淀小学校(兒島敏昭校長)は、愛知県立大学の清水宣明教授の助言によって、学校の屋上を「一時避難場所」としました。屋上は13.5メートルの高さがあるとのことです。
しかしながら、想定をこえた 15 メートルあるいはそれ以上の高さの津波がきたらどうするのでしょうか。
万が一、屋上まで水が押し寄せた場合に備え、子供たちが流されないようにと、フェンスの三〇ヵ所に体をむすびつけるロープを設置した。
まったく馬鹿げた話です。東日本大震災の教訓がいかされていません。「釜石」式を採用すべきであり、「大川」式は選択してはいけません。死ぬときも みんな一緒ではなくて、一人でも多くの人が生きのこる道をえらばなければなりません。そのときがやってきました。
けっきょく、想定や行政や教師や教授がどうのこうのということではなくて、自分の命は自分でまもらなければなりません。
▼ 引用文献