釜石の人々は、「津波てんでんこ」と「避難三原則」にしたがって、大きな揺れを感じてから、みずから主体的に判断し行動しました。
これまで何度も津波の被害をうけてきた東北地方には「津波てんでんこ」という言葉がのこされています。

「津波の時は家族のことを気にせず、てんでんばらばらに逃げろ」という教えだ。

大地震がおこったら、「ウチの子は逃げている」と親は信じて、家には戻らずに避難場所に直接むかいます。「お母さん、お父さんは絶対に逃げている」と子供たちのほうも信じて避難場所に直接いきます。

親が子供をたすけに行ったり、お年寄りをたすけに行ったりして、一家全員あるいは地域全体が犠牲になってしまったという悲しい歴史をくりかえしてきたためにこのようなルールが確立しました。ひとりひとりが自分の命は自分でまもること、そしてそれを家族がたがいに信じあうこと、つまり家族がふかい絆でむすばれているからこそ「津波てんでんこ」はなりたちます。

* 

また「釜石の奇跡」の立役者ともいわれる群馬大学の片田敏孝教授は、津波や土砂災害・水害などの災害から命をまもるための原則を三つにまとめました。

避難の三原則
  1. 想定にとらわれるな
  2. 最善をつくせ
  3. 率先避難者たれ

ハザードマップ(想定図)を住民が見ると、「ここまでしか被害はこない」という災害イメージの上限を勝手につくってしまい、それ以上のことに対処できなくなってしまいます。想定区域の外側にいる人々に安心材料をあたえてしまい、安心した人々は避難しなくなります。たとえばマップを見て、「おれんちセーフ」「おまえの家はアウト!」などと決めてしまいます。

実際には、過去のデータをもとにした被害想定は役にたたず、想定外のことがおこります。

「釜石の奇跡」では、「津波てんでんこ」と「避難の三原則」が実行されました。たとえば釜石東中学校の生徒たちは、地震の直後、先生の指示をまつことなく高台へとすぐにかけだして行きました。その様子をみた付近の住民も、「逃げたほうがいい」と子供たちのあとについて行きました。中学生が勇気をだして逃げたことによって多くの命がすくわれました。

災害時に、「行政からの避難指示が出なかった」という住民の声を聞くことがありますが、自分の命を行政まかせにすることはできません。行政からの情報があってもなくても自分の命は自分で責任をもつ、自分の命は自分でまもらなければなりません。


釜石の子供たちは、行政や教師や大人たちから「逃げろ」と指示されたから逃げたわけではありません。「ここにいては危ない!」と判断して、警報がでるまえに靴をはき、高台へとかけだして行ったわけです。

みずから主体的に判断して行動することを身につけていたからこそ「釜石の奇跡」はおきました(図1)。

151017 主体的に判断
図1 大きな揺れを感じ、主体的に判断して行動した


これに対して、行政や教師からの指示・命令に受動的にしたがって行動するケースを図示すると図2のようになります。

151016 指示命令
図2 みずから判断することなく、指示・命令にしたがって受動的に行動する
 
みずから判断することがないということはプロセシングがないということです。その人の意識のなかで情報が何も処理されることはなく、指示・命令のインプットのままに行動をする(アウトプットをする)という状態です。情報処理がおこっていないので人間行為としてはとても不自然です。


▼ 引用文献
NHKスペシャル取材班著『釜石の奇跡 どんな防災教育が子どもの“いのち”を救えるのか?』イース・トプレス、2015年1月20日
釜石の奇跡 どんな防災教育が子どもの“いのち"を救えるのか?