広瀬浩二郎著『触る門には福来たる』は「見えないことで観える」体験記・旅行記です。人間の感覚器官をフルにつかって認識をすることが大事であることをおしえてくれます。

著者の広瀬浩二郎さんはおさないころから弱視で、13歳のときに視力を完全にうしなったそうです。その後、京都大学文学部国史学科、同大学大学院などをへて、現在は、国立民族学博物館の准教授をされています。

わたしは先日、国立民族学博物館を見学していたときに広瀬さんの講演会がたまたまあったので聞きにいき、大きな感銘をうけ、その後、広瀬さんの本をほとんどすべて読んでみました。
 

目 次
究める めざせ座頭市!
歩く 広瀬流「地球の歩き方」
触る よく触り、よく学ぶ
食べる 口は目ほどに…!?
喋る 大風呂敷を広げてみよう
動く 「バリア・フリー」から「フリーバリア」へ


広瀬さんは、視覚以外の感覚を総動員してさまざまな物をそして周囲を世界を認識しています。

情報処理の観点からいうと、感覚とは、人間(あるいは動物)が外界から内面に情報をとりいれることつまりインプットすることであり、感覚器官はそのための道具です。

わたしたち生物は、感覚器官をつかって外部から内面に情報をとりいれ、その信号を処理して物や空間などを認知しています。わたしたちの意識のなかでは不思議なプロセシングがおこっています。

それぞれの感覚は各動作とむすびついていて、それらの対応関係はたとえば次のようになっています。
 
  • 歩く:筋肉感覚、その他
  • 触る:皮膚感覚
  • 食べる:味覚や嗅覚
  • 喋る:聴覚
  • 動く:筋肉感覚、その他

本書をよむと、広瀬さんは、すべての感覚を大きくひらいて、うけとれるあらゆる情報を活用しながら認識をすすめていることがわかります。こうすることによって情報処理がすすみ、直観力もみがかれます。

他方で、わたしたちはどうかというと、学校の知識つめこみ教育の影響もあって、聴覚的な言語を通して情報をとりいれることに極端にかたよりすぎているのが現状です。本来は、あらゆる感覚をつかって情報をとりいれて、それらを総合して認知しなければいけないのに、言語をインプットして理屈でわかったような気になってしまうことに慣れきってはいないでしょうか。

わたしたちは、みずからの情報処理の仕組みをとらえなおし、もっている感覚のすべてを大きくひらく訓練をあらためてしなければならないでしょう(図)。

150720 感覚
 図 感覚をひらく訓練をする
 


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インプットを自覚する -「ユニバーサル・ミュージアム ― さわる!“触”の大博覧会」(国立民族学博物館)-

▼ 引用文献
広瀬浩二郎著『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』岩波書店、2004年6月4日
触る門には福来たる―座頭市流フィールドワーカーが行く!

▼ 広瀬浩二郎さんの著作