フィービ=マクノートン著『錯視芸術』は絵や図を見て錯覚を実際に体験(実験)できる本であり、日常のさまざまな場面において錯覚がおこっていることに気がつかせてくれる本です。
わたしたちは、目という感覚器から非常に多くの情報を心のなかにインプットしながら生きています。このような視覚系の情報処理について理解をふかめるために錯覚の実験はとても役立ちます。
もくじ奥行きの錯覚正投影図斜投影図等角図一点透視投影二点から五点の透視投影絵を描くための装置遠近法の基本遠近法の錯覚影反射蜃気楼とブロッケン現象光と形空気遠近法相対性の法則図と地ありえない物体コンテクストの中の手がかり単純化された戯画と脳天地さかさま光に意味を与える知覚による錯視動きの錯視マジック他の感覚虹と月虹ハロー(暈)とグローリー現実の捉え方
遠近法の錯覚(等しい物が違って見える)
相対性の法則(比較対照)
現実の捉え方(世界を新しい見方で見る)(注)
本書の絵や図をつかって実験をしてみると、錯覚は目ではなくおもに脳のはたらきによることがわかります。
また認識とは相対的なものであり、おなじ物を見ていても、背景あるいは周囲が変わっただけでちがって見えてしまうことにも気づかされます。
われわれが見ている世界は、われわれの感覚と、その感覚に意味を与える知覚系のはたらきの産物であり、そこに見える美しくて特別な世界は(中略)本質的には謎である。
わたしたちは、光の反射と影を目でとらえて物の形や奥行き・材料などの手がかりをえようとしています。
わたしたちの目は、カメラのように世界を脳に投影して見えるようにしているのではありません。目に入ってきた光と影の情報は脳におくられ、そこで不思議なプロセシングがおこります。わたしたちが見ている世界はこのような情報処理にもとづく像なのです。わたしたちが見ている物体は実物そのものではなく、物体に反射した光の情報を処理した結果です(図)。
図 情報処理がおこっている
人類の10人にひとりほどは共感覚という特殊な感覚をもつといわれます。そのような人々は、たとえば言葉や音楽などの聴覚入力が色や形に変換されて見えてしまうそうです。このようなことからも感覚系からインプットされた情報が処理されて認識がおこっていることがわかります。
錯覚をさけ、ありのままに物事を見ることは簡単なことではありません。わたしたちの頭には小さいころからの経験によって物の形や材質・機能などのパターンがすでにすりこまれています。それが何であるか自分で一度きめてしまうと、以後は、それを見るたびにまったくおなじ解釈をしてしまいます。
このようなことをふまえて、歴史上の賢者や聖人たちは、自分のあらゆる感覚をみがき向上させる鍛錬をたえずするように説いてきました。現代的にいいかえるならばインプット・システム(入力系)をきたえよということです。そして情報処理のエラーがおこらないようにつとめなければなりません。
本書をつかえば錯覚の実験を実際に自分でおこなうことができます。本書の図や絵をくりかえし見て視覚の不思議をまずは味わってみるとおもしろいです。わたしたちが知覚している世界は、わたしたちの情報処理の結果として構築されているということに気がつく第一歩になるかもしれません。
▼ 引用文献
フィービ=マクノートン著(駒田曜訳)『錯視芸術 遠近法と視覚の科学』創元社、2010年8月20日
錯視芸術(アルケミスト双書)
▼ 注「現実の捉え方」
たとえば二次元に投影された図像を見て、ある人は「これは人だ」といい、ある人は「ウサギだ」といいます。また別の人は「ヤギだ」というかもしれません。しかし、それらは実際にはすべて人の手であった、人の手の影だったということがあるかもしれません。これはたとえ話のようですが、似たようなことはさまざまな場面でおこっています。