小澤征爾さんなどの世界的な音楽家を数多くそだてた音楽教育者・故齋藤秀雄は次のようにのべています。

「バイオリンを弾いて、バイオリンの音をきかせようとしている人がいますが、それはバイオリン弾きであって芸術家ではありません。バイオリンという道具をつかってもっと奥にあるものをつたえようとするとき、その人は芸術家になっていくのです」(注)

奥にあるものあるいは作曲家のメッセージ(おおげさにいえば魂)をつたえることが音楽の役割です。楽器や音はそのための手段です。作曲家は、音をつかって何らかのメッセージを私たちにつたえようとしているのです。

齋藤秀雄はこうもいっています。「バッハの時代はこういう楽器(古楽器)でこういうふうに弾いていたのだから、現代でもそのように弾かなければならないというは、私たちのやり方とはちがいます」

つまり、バッハの時代のサウンドを再現するのが芸術の目的ではなく、バッハの心あるいはメッセージをつたえることがもとめられているのです。そのための手段として楽器があり音があるのです。どのような手段(古楽器か現代の楽器か)をつかったかは本質的な問題ではなく、心やメッセージがつたわったかどうかがポイントになります。

作曲家の心やメッセージを理解することなく、自分を出そうとしたり自己主張をするために演奏している奏者がときどきいますが、そのような人は論外です。

注:NHK/BS:サイトウキネンフェスティバルの10年、2013年3月放送